"国内小説"カテゴリーの記事一覧
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馬場孤蝶は、明治26(1893)年に発行された文芸雑誌『文學界』の同人として文学史などにはよく出てきます。とくに、樋口一葉との付き合い、斎藤緑雨との交流などが取り上げられています。ですが、探偵小説の作者、翻訳者であったことはあまり知られていません。探偵小説に興味を本格的に持ったのは、大正時代に入ってからだったようで、孤蝶の大学での教え子、当時『新青年』の編集長だった森下雨村がその面白さを教えてくれたからでした。つまり、博文館の『新青年』が創刊された大正9(1920)年以降なんです。そのような馬場孤蝶が創作した探偵小説が、『悪の華』(ヒラヤマ探偵文庫13)には、三篇掲載されています。「髑髏の正体」「悪の華」「荊棘の路」でして、初めての単行本化になります。関東大震災後の大正13(1924)~15(1926)年の『婦人倶楽部』に連載されたものです。いずれも、読者に対して総額1,000円の犯人当て大懸賞が付いていました。その当時の1,000円の価値は、どうだったのでしょうか。インターネットで「大正13年 お金の価値」で検索すると、「大正13年に1円で取引されていたものは、現在の価値にすると、約493倍で、493円になる」と書いてありました。これを信じると、総額1,000円の懸賞は、現在のお金に直すと、約49万3千円くらいになりますね。しかし、総額です。細かい懸賞金配分額を見ると、200円を1名、20円を5名、10円を10名、5円を20名にそれぞれ現金でプレゼントしたようです。以下は、1円(図書切符)が100名、50銭(図書切符)が200名、20銭(図書切符)が1000名になっていました。図書切符とは、今の図書券のことでしょうか。仮に200円が当たったとすれば、現在では約493倍になるのですから、現金でもらえば約98,600円。大まかに言えば、約10万円。これはそそられますね。一番最後の20銭の図書切符は、今の金額では約493倍になるわけですから9,860銭で、換算すると約99円になります。100円とみなしていいかも。100円の図書券だったら、現在の割引クーポンくらいの額ですから悪くないです。1000名という大勢に当たるのですから、このくらいの金額になったのでしょう。『婦人倶楽部』の編集部が仕掛けた馬場孤蝶の「悪の華」の犯人当てクイズは、現在の皆さんには、いかがでしょうか。チャレンジしてみたくなった方は、急いで、ヒラヤマ探偵文庫JAPANへ、どうぞお越し下さい。『悪の華』が待ってます。最後に、『婦人倶楽部』に掲載された「悪の華」の冒頭を掲げておきます。PR -
セクストン・ブレイク・コレクションの第二弾は、森下雨村訳の『謎の無線電信』(ヒラヤマ探偵文庫21)になります。森下雨村は、大正9(1920)年から始まった探偵小説雑誌『新青年』の初代編集長でした。また雨村は、雑誌編集者だけでなく、海外探偵小説の翻訳家、少年少女探偵小説の作家でもありました。「謎の無線電信」は、博文館の発行する『中学世界』の大正10(1921)年4月号から11月号まで掲載されます。原作名は、「The Case of the Strange Wireless Message」(The Sexton Blake Library 1st No.125, May 1920)であり、原作者は、ウィリアム・ウォルター・セイヤー(William Walter Sayer 1892-1982)です。原作が発行されたのが大正9(1920)年5月ですから、出版されてから一年も経たないうちに、雨村は原作本を手に入れて訳しました。
この物語は、セクストン・ブレイク探偵が、カリビアン海にいると思われる秘密探偵ジェムス・グラニット・グラントを救助するために、助手のチンカー、愛犬ペドロともに、小型快速船ナンシイ号で出向く話です。ここで、題名に使われている「無線電信」が意味を持ってきます。
1912(明治45)年4月に起きた豪華客船タイタニック号の沈没を経て、海上での無線電信はその役割が増してきました。国際的には船舶相互の交信や遭難緊急通信の常時聴取などが義務づけられたのです。日本でも、1915(大正4)年に無線電信法が公布され、船舶無線局も官営から私営になりました。無線通信士の資格が、より重要になってきました。
たぶん森下雨村がこの作品を『中学世界』という雑誌に翻訳したのは、そういった世の中の風潮を、若い読者に向けて知らせたかったからでしょう。とくに無線電信という、日本にいながら世界の情報を得ることのできる便利なツールを使える、大正時代の新しい青年になって欲しかったのかもしれません。――言いすぎかな?
原作本の表紙では、物語の発端になるその無線電信のリレーを上手に表現していると思います。こういう画を見ると、無線電信の重要さをすぐに理解できますね。
本文の最初では、無線電信の役割を枠で囲って、編集者が説明しているのがわかります。
このように無線電信という科学技術を使って、当時の中学生をワクワクさせる物語を雨村は選んで翻訳していたと思われます。雨村は「謎の無線電信」を訳した後、同じく『中学世界』大正13(1924)年1月号から12月号まで、J・S・フレッチャーの「ダイヤモンド」という作品を翻訳しました。これも同じように、ハラハラドキドキする内容になっています。もし、興味をお持ちになったら、J・S・フレッチャー、森下雨村訳『楽園事件』(論叢海外ミステリ230、論創社、2019年)に収録されていますので、ご覧になってください。『中学世界』連載の初出が掲載されていますので、当時の雨村翻訳の雰囲気を味わえます。
なお、ヒラヤマ探偵文庫の『謎の無線電信』なんですが、現在、版元品切れです。お読みになりたい方は、このHPにある「書店の皆様へ」のページに掲載されている「現在お取引いただいている各書店様」へお問い合わせくださるとうれしいです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
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ヒラヤマ探偵文庫のセクストン・ブレイク・コレクションは、加藤朝鳥訳の『柬埔寨の月』(ヒラヤマ探偵文庫19)から始まりました。「柬埔寨」は「カンボジア」と読みます。
セクストン・ブレイクとは、物語の主人公セクストン・ブレイク探偵のことをいいます。彼は、イギリスのシャーロック・ホームズと並んで、探偵小説ファンにはよく知られた存在です。ただ、セクストン・ブレイクは、数々の作家によって作られた物語の主人公であり、1893年に初登場して以来、1970年代後半まで、200~300人の作家たちにより、4000余りの物語が編まれたところに特徴があります。
SF小説におけるペリー・ローダンシリーズのようなものになっています。
今回紹介する『柬埔寨の月』は、加藤朝鳥が『週刊朝日』大正12年1月1日号から6月3日号にかけて、全二十三回で連載したものを単行本化したものです。原題は”Lost in Cambodia;The Case of the Photograph Collector”(The Sexton Blake Library Ser.1 No.257,October 1922)になります。
原作者は、ウィリアム・マレー・グレイドン(William Murray Graydon 1864-1946)。アメリカのペンシルベニア州で生まれた彼は、三十代前半に創作活動の拠点をイギリスに移しました。そこでセクストン・ブレイク作品を書き続け、1928年頃には、ブレイクの小説を100冊出版するという偉業を成し遂げました。
「柬埔寨の月」は、セクストン・ブレイク探偵の冒険譚といってもよいでしょう。旧都プノンペンの財宝が、稀代の大悪党バシル・ウィクショウたちに盗まれてしまいました。カンボジアのサナワト王はたいへん弱ってしまい、イギリスから大探偵セクストン・ブレイクを呼び寄せました。捜査を依頼して、財宝を取り戻してもらうためです。
元はと言えば、財宝のことを、ブレイクの友人でもあるマルコルム・グレーが、カフェーでべらべらとしゃべったことをウィクショウたちに聞かれたことが原因です。マルコルム・グレーは、ちょうどカンボジアから帰ったばかりでした。カンボジア王の姫ラオチバとのラブロマンスもあり、舞い上がっていたのです。
ブレイク探偵は、ロンドンでウィクショウたちを追い詰めますが、しかし逃げられてしまいます。結局、ウィクショウたちはカンボジアに財宝を盗みに行ってしまいました。
サナワト王に呼び出されたブレイク探偵と助手のチンカー。彼らのの大冒険がここから始まります。カンボジアの大自然を舞台に、彼らは飛行機に乗って大活躍をします。
どうです? なんだか、面白そうでしょう。
最後に、写真を二枚上げておきます。
一枚目は、『週刊朝日』連載一回目のページ。二枚目は、原作本の表紙です。
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ヒラヤマ探偵文庫の最新刊は、ヘンリー・レヴェレージ、加藤朝鳥・平山雄一共訳の『囁く電話』(ヒラヤマ探偵文庫26)です。この作品は、加藤朝鳥が『新青年』大正11(1922)年1月号~4月号まで訳したのですが、そこで中絶してしまいました。しかし残りの部分を、平山雄一さんが訳して、現代に蘇らせたものです。時空を越えた翻訳コラボになります。新しい試みであると同時に、「翻訳とは何か」を考えるきっかけにもなるかもしれません。小酒井不木は、『毒及毒殺の研究』(『新青年』大正11年10月号~大正12年1月号)のなかで、「囁く電話」のトリックについて触れています。作品のキモをそのまま述べているのだから、はたしてそれで良いのか、悪いのか?アメリカではフォックス社によって、大正15(1926)年に映画化されていました。日本には昭和2(1927)年に入ってきています。ヒラヤマ探偵文庫版の表紙は、その映画のスチールから取ってみました。下の写真一枚目は、マグネー氏の書斎。二枚目は、マグネー氏の娘、ロリス・モントゴメリとメイド。映画では、ストーリーが改変されていて、ドリウ探偵の出番はなく、代わりにロリスの恋人のバリーが活躍する話になっているようです。お買い求めは、BOOTH SHOP「ヒラヤマ探偵文庫JAPAN」からどうぞ。
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長田幹彦の「九番館」が雑誌連載された頃は、人々の生活は汲々としていました。「九番館」の登場人物の原島貞一郎は、居留地にある、元は教会だった九番館と呼ばれる建物にやってきて、そこに貧民病院と親に見放された子どもたちのための貧児院を作ります。そう、世の中には貧しい孤児がたくさんいたのです。こういう社会状況を舞台にした大衆小説は、同時期に他にもありました。三上於菟吉の描いた「悪魔の恋」という小説です。これは『九番館』と同じ発行元の博文館が出している『講談雑誌』に大正10(1921)年1月から一年以上連載されました。「悪魔の恋」の主人公、江馬勇は立派な家の息子でしたが、あることをきっかけにして、実は自らの出自が孤児だということに気づきました。紆余曲折した後、孤児院を建設していくという話です。たぶん偶然だろうと思いますが、なぜ、この時期にこういう孤児を扱った作品が博文館の発行する雑誌に載ったのかは定かではありません。しかし、「孤児」というテーマを小説にするほど、世の中が困っていたのでしょうね。