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ウナはキーズ・カレッジの舞踏会で、ハリー・レルトンと婚約した。おそらくこれは手相見への意趣返しだったと思う。なにしろ彼女がハリーを好きだとはとても思えなかったからだ。もっとも彼の方は彼女にかなり夢中になっていた。ウナにはおめでとうと言っておいた。「初めての恋人」ができたのは、喜ばしかった。ハリーはいつも金回りがよく、父親が自動車製造に乗り出したので、さらにもっとよくなるだろう。彼がプロポーズをしたのは台所の階段でだったそうだ。ちょうどコックが夕食の用意をしていたそうだ。この小さなタマネギ君を、きっとウナはお手の物で料理してしまうことだろう。彼女によると、婚約をしてもまったく気分に変化はないという。フランス風の「狂喜乱舞」、天にも昇るここちがすると思っていたのに。おそらくハリーは、今までウナが鼻にもひっかけなかった、生活するにあたっての真面目な心配に目覚めることだろう。彼に財産がなかったとしたら、ご愁傷様と言うしかなかっただろう。確かに、ボート競技なんかしていても金にはならない。一方ウナの浪費癖は、ヴァンダービルト【訳註:アメリカの富豪】以外は誰でも破産してしまうだろう。そういうわけで、二人はおままごとのような新婚生活を始めることになるだろう。僕は彼女が婚約したと聞いて喜んだ――そして同時に少々憂鬱でもあった。新しい生活に踏み出すというのは悲しいことでもあるし、いくらついていてもよく考えずにはいられない。お気に入りの寮の部屋ともお別れだ。次の学期には、乱暴な一年生がここを占めることになる。自慢の会社を閉めたり、クリケットのキャプテンを辞任したり、組合の会長を辞めたりするのと同じだ。窓の外のおなじみの風景を見つめる。庭のどこに何の植物が生えているかもわかるほど、おなじみの場所だ。塔や礼拝堂やツタで覆われた小塔の風景、かなたにはケンブリッジの尖塔やドームがパノラマのように広がっている。それと永遠のお別れなのだ――そう、誰もが考えるだけで心が痛み、思わず顔を背けたくなるのだ。しかも僕の将来は漠然としたままだった。八ヶ月前に父が亡くなったけれども、遺産は債権者たちを満足させるにはほど遠い額しかなかった。母が亡くなってから三年しか経っていなかった。連れ合いを亡くした悲しみのせいで、不運が重なってしまったのだろう。それ以来すっかり仕事にも身が入らなくなってしまった。どれほど弱ってしまったか僕はまったく知らなかったが、貧しくなってしまったのは気の毒だった。それは母を失ったせいだというのは、当然だと思った。僕がケンブリッジ大学を卒業できるだけの遺産は、債権者たちも残しておいてくれていた。僕は二つ奨学金を受けていたのは事実だったが、僕自身の借金も膨らみ、最後の五月学期が終わったときにいは、どうやって返済したらいいか途方に暮れるほどだった。言うまでもなく、何か仕事を即座に見つけなければいけなかった。父がまだ元気な頃の希望としては、自分の影響力があったある大きなパブリック・スクールの舎監にすることだった。卒業時の筆記試験で首席をとり、しかも体育会系の学生ならばそれがぴったりだった。しかしなぜ道徳哲学試験を選んでしまったのか、僕はよくわからない。おそらく父自身が論理学や哲学が好きだったからだろう。それに父はある大きな商社につとめる弁護士であり、英語やドイツ語を使う機会が多かったからだろう。この選択は、今になってみれば大失敗だった。修士号を取る望みはもうないし、「僕の論理学の実力は申し分ないので、経理係として雇ってくれませんか?」とどこかの会社の社長に頼んでも、つうじるわけがあるまい? これに関しては大学は何の役にも立たなかった。ケンブリッジ大学を僕同様に愛してくれている人には申し訳ないが、これは間違いない事実なのである。そういうわけで、僕は金を稼ぐために今すぐ仕事を見つけなければいかなかった。真面目な評論雑誌にいくつか記事を寄稿し、好評だったことがある。マルクスの批評を隔週雑誌に掲載して、多くの友人ができた。また季刊雑誌に個人主義について長い論文を発表したり、新聞の文芸欄に書評を書いたりした。こういう仕事は金にならないのは、皆さんご存じの通りである。そこで秘書の仕事はどうだろうと考えて、タイムズ紙に求職広告を出してみることにした。それへの返事が、これからお話しする奇妙な物語のきっかけとなったのだ。さて、僕が期待していたようなような段取りではなかった――長々とした手紙の交換や推薦状を送ったりするとばかり思っていた。僕を雇うような会社は、指導教官からその人となりを知りたがるとばかり信じ込んでいた。僕がその地位にふさわしいか質問されたり、能力はどうだとか、給料はいくらがいいのかとかという話し合いがあると思っていた。僕はフランス語やドイツ語ができて、父とたびたび海外に行っていたので、国会議員や外交官から問い合わせがあるだろうと考えていた。ところが喪中の黒枠がついた便せんに、たった二行書いてあるだけの手紙を受け取った。クラリッジ・ホテルから投函されていて、ジェハン・カヴァナー氏が僕をただちに雇いたいとだけ、書いてあった。まるでダイアモンド製のティーポットを膝の上に落とされたように、びっくり仰天した。ジェハン・カヴァナーといえば、カナダの大鉄道王であり、ロックフェラーと同じくらい有名な人物ではないか?そのたった二行の手紙を、どうぞご覧いただきたい。「ジェハン・カヴァナー氏はブルース・インガソル氏にご挨拶申し上げると共に、翌六月十五日より雇用したいとお伝えする」推薦状など要求していないのは、ご覧の通りだ。給料の額も書いていない。どこで仕事をするのか、どういう仕事かということさえ不明だ。それでもどんなに疑い深い人間でも、彼の名前を出されたら納得するしかない。カナダとその鉄道網の将来に関する第一人者なのである。彼が所有するシカが住む森とヨットは、誰もが挿絵入り新聞で見たことがあるはずだ。ケベックの有名な政治家で銀行家だった彼の父親が、バクーで過激派に十ヶ月前に殺害されたとき、この事件は世界中を騒然とさせた。そしてこの男が僕に秘書になれと連絡をくれた。面接もなし、給料の交渉もなし、何の質問もなしでだ! もし彼の名前が知られていなかったり、評判が今ひとつだったりしたら、こんなことを言われても身構えてしまうだろう。しかし僕はイングランド銀行を信頼しているのと同じように、まるで中庭を横切って指導教官の部屋を訪れるのと同じくらい躊躇なく、彼のところに行く決心をした。僕のケンブリッジ大学最後の朝は、こういう状態だったのである。メアリー伯母とウナはすでにセントピーターズの自宅に戻っていた。僕は大学副総長にうやうやしく敬礼をして、卒業生の仲間入りをした。あとは古いガウンをしまい、ベッドメイクをしてくれる係にたっぷりチップを渡し、家具の売却や処分の手はずをする。そして最後に残った最大の難物は、商店の付け払いをすることだった。どれもこれも頭が痛いが、特に最後の仕事には困った。僕は全財産をあわせても約百五十ポンドしかなかった。ところがケンブリッジには三百ポンド近い付けが残っているのだった。一ソヴリンを二倍にする技など持ち合わせていないので、商店主をどうにか説得しなくてはいけない。それを彼らは受け入れてくれるか、きっぱり拒絶するかのどちらかだろう。どちらにせよ、決して愉快な仕事ではないし、これほど恥ずかしく思ったことは今までになかった。そういうわけで僕はワレン&フラートン商店に入り、主人のどちらかにさしで話があると告げた。彼らには百ポンド近い借りがあった。僕が今支払えるのは四十ポンドだけで――残りは期限を延ばしてもらうつもりだった。そしてフラートン氏本人がやってきた。事務所から出てきた空は、額に金縁眼鏡を上げて、にっこり微笑んでいた。これほど上機嫌な様子は見たことがなかった。だからこそさらに僕は居心地が悪くなった。「休暇用の服がお入り用ですかな?」彼は言った。僕はまったく別の要件だと告げた。「しかも申し訳ない話題なのですが」僕は付け加えた。「お支払いの件なのですが、フラートンさん?」「いや、お客様のお支払いはすでに済んでおります。お知らせはまだお手元に届いていませんか?」まるで彼が僕の顔に札束をたたきつけたかのように、びっくり仰天した。目の前に立っている白髪の老紳士は、今まで聞いたこともないような途方もない話をしたのだ。もちろんそれは何かの間違いだ。そのせいで僕の立場はなおさら困難になった。「支払ったですって?」僕は心の底から驚いた。「で、誰が払ったというのですか?」「それは私は存じ上げません。共同経営者は、間の悪いことに昼食に出かけております。しかし小切手のことは覚えておりますし、きちんと換金できております。連絡が行っていないというのは、まことに申し訳ございません」「それは間違いないのですか、フラートンさん?」「絶対に間違いありません。そのような手違いは、うちの店ではありえませんので、インガソルさん」彼はハンフリーズという主任を呼び、僕の勘定が精算されているかどうか確認をした。この店員は籾手をしながら、問題の小切手は三日前に無事換金されたと答えた。その瞬間、この店員と店主両方が間違うことはありえないと思った。「それでは」と言いながら、この場をどうにかごまかさなければいけないと思って、「おそらくうちの弁護士がやってくれたのでしょう。お騒がせしました。休暇用の服が必要になったら、フラートンさん、手紙で注文をします。それからもちろん、引っ越した後で何か連絡が必要になったら――」彼は言葉を遮って、僕の洋服を仕立てるのはまことに楽しいことであり、皇帝さえも驚嘆するような素晴らしいフランネル生地が入荷しているとも言った。しかしそんな言葉はまったく耳に入らなかった。僕は他の付けがある店を回ろうと、外に出た。ところがご想像の通り、どこに行ってもすでに支払いは済んでいた。マーケット・プレイスのジョナス煙草店、シドニー街のワスグッド靴店、世界一のラケットを作るタフネル、お嬢さん方を大喜びさせるケーキをつくるシンプキンズ、そしてワイズマン書店まで――足を運んでみると、付けは残らずきちんと支払い済みだった。驚いたどころではなかった。そんなことを予感させる出来事など、なにもなかった。僕は言葉を失っていた。生まれて初めてこんな謎に直面して、途方に暮れるばかりだった。三時頃になって寮の自分の部屋に戻った。そして玄関番に辻馬車を呼ぶよう頼んだ。午後の汽車でロンドンに行き、ただちにカヴァナー氏に面会をする決意を固めた。直接面談をして、彼の申し出を受けるかどうか決めることにしたのだ。彼の奇矯な気前の良さに圧倒されつつも、かえって警戒心が高まり、疑いさえも抱くようになっていた。どうしてこの男はここまで親切にしてくれるのだろう。そしてただの大学出たての新人にしかすぎないのに、何一つ質問もせずここまでひいきにしてくれるだけでなく、借金まで支払ってくれたのだろう? こうした疑問はきっとロンドンに行けば晴れるはずだ。しかし僕はまったく間違っていたのである。PR
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最後にお話をしたのが、森下雨村のおこなった探偵小説に果たした役割です。雨村は、大正9年に創刊された博文館の『新青年』の初代編集長を務めました。そのとき、海外の探偵小説の紹介に努め、江戸川乱歩らに創作の舞台を提供し、さらに横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、牧逸馬、夢野久作らなどの多くの作家を世の中に送り出し、探偵小説文壇に大きなエネルギーを注入したことで知られています。
雨村は、明治42年に早稲田大学英文科へ入学します。そこで長谷川天渓や馬場孤蝶を知り、また片上伸から英訳版のドストエフスキー「罪と罰」を読むことを命じられます。雨村は感銘を受け、ロシア文学を研究するようになります。馬場孤蝶が大正4年に衆議院選挙に立候補したとき、選挙資金を集めるために編んだ『孤蝶馬場勝弥氏立候補後援――現代文集』(実業之世界社)には、クロポトキンの「農奴」を訳して寄稿したり、大正9年には孤蝶、佐藤緑葉との共訳で同じくクロポトキン『露西亜文学講話』『露西亜文学の理想と現実』を発行したりしていました。雨村は、このようにロシア文学を根っこに持ちながら、自分の文学生活を紡いでいきました。
雨村は、若者向け総合雑誌『新青年』を発行するとき、なにか目玉になる読み物を考えていました。彼は「冒険的な読物雑誌は時勢に後れているというところから出発したこと故、冒険小説などはなるべく避けたい、と云って文芸的な小説でもいけないというところから考えついたのが、探偵小説である」と述べました(「十年前の『新青年』」『新青年』昭和4年1月号)。この発言からわかるように、探偵小説を『新青年』の目玉にしようと、雨村の試行錯誤が始まりました。
大正11年の暮れには、江戸川乱歩から「二銭銅貨」「一枚の切符」の原稿が博文館の雨村のもとに送られてきました。これらは、同じ年の秋に、孤蝶が神戸図書館の講堂で探偵小説について講演したのを乱歩が聞いて、放っておいた原稿を再び書き直し始める気持ちになって、執筆したものです。最初、孤蝶に送ったものですが、孤蝶は忙しくて読む閑がありませんでした。乱歩は送り返してもらいました。そして改めて雨村に送りました。雨村も忙しく抽き出しに入れたままになっていましたが、乱歩から催促の手紙が来て、ようやく読むことになりました。
そうしたら、大変! 凄い作品でした。びっくりした雨村は、名古屋の小酒井不木に読んでもらおうと思い、原稿を送りました。不木も大絶賛。ここに素晴らしい日本の創作探偵小説が誕生したのです。
その「二銭銅貨」が華々しく『新青年』に掲載されたのは、大正12年4月増大号でした。雨村が孤蝶に探偵小説を教え、孤蝶はそれをテーマに神戸で講演し、それを聴いた乱歩が雨村に作品原稿を送る。森下雨村の蒔いた探偵小説という〈種〉は、孤蝶を介し、乱歩が創作探偵小説という〈花〉を咲かせて見事に戻ってきたのです。
このようなことを中心にお話をして、最後に雨村の提唱した「軽い文学(ライト・リテラチャー)」(昭和10年)が、現在のキャラクターを重視するライトノベルやアニメの物語のあり方を予言したものであったかもしれないという、壮大な展望を示して終わりにしました。高知の生んだ三人の作家、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村が、日本の探偵小説の礎を築いていったことがわかると思います。
ところで、文学館入り口左側のショップでは、ヒラヤマ探偵文庫を扱っていただいています。馬場孤蝶『悪の華』、森下雨村訳『謎の無線電信』、馬場孤蝶訳『林檎の種』、森下雨村『二重の影』の4冊になります。『悪の華』と『謎の無線電信』は、第二版です。
文学館の皆様、ありがとうございました。興味のある方は、読んでいただけるとうれしいです。
さて、10月8日の講演会は終わりましたが、「めざめる探偵たち」展は、まだまだ続きます。このブログをお読みになって、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村の探偵小説に興味を持たれた方は、ぜひ高知県立文学館へお越しください。よろしくお願いいたします。
翌日は、「森下雨村顕彰碑」を佐川町に見に行きました。きれいに整備されていて、趣きがありました。行くことができて、よかったです(終)。
なお、講演会の写真は平山雄一さんに撮っていただきました。 -
まず、はじめは黒岩涙香の略歴を簡単にお話しました。その次に『今日新聞』に連載した翻案「法廷の美人」が好評を博したことを述べました。ここでヒュー・コンウェイ原作の「暗き日々 Dark Days」との違いを語り、そこから最初の創作探偵小説といわれている「無惨」の特徴を述べました。
その後、涙香が探偵小説の翻案を書かなくなり、「鉄仮面」「巌窟王」などの奇談を書いたことをしゃべりました。また、硯友社の探偵小説退治のことや『都新聞』の探偵実話が流行ったことなど、明治44年の終わり頃、映画「ジゴマ」の大ヒット、そして上映禁止のことなど、時代の流れを語り、馬場孤蝶への橋渡しとしました。
二番目は、馬場孤蝶の紹介です。島崎藤村らの『文学界』の同人だった馬場孤蝶の略歴を最初に述べました。探偵小説に関して、森下雨村との関わり、大衆文学のサロンとしての泊鷗会のこと、大正11年9月に神戸図書館の講堂で講演をしたことなどをしゃべりました。この講演には江戸川乱歩や横溝正史らが来ていて、乱歩の創作熱を再燃させたことは、日本の探偵小説の歴史のうえでは大きな出来事になっています。
泊鷗会においては、馬場孤蝶の「文藝の社会化問題」を取り上げ、孤蝶の「文藝の社会化か――社会の文藝化か」(『読売新聞』大正9年12月24日~25日付)というエッセイを元にして、その問題提起の意味を考えました。孤蝶のそういう関心が、探偵小説への興味につながっていくのではないでしょうか。
また、雨村の編集した博文館の『新青年』が探偵小説の流行を生んだことに対して、孤蝶のエッセイ「探偵小説の興味の核心」(『サンデー毎日』大正11年9月24日号)で述べられた「何だか難しそうで、まるで謎でも解くような気のするようなのが、最も探偵小説として読者に歓迎させるのである。作者が語っている間に、読者は朧気ながら、何者かをさとり、それらしい事を知る云ったような筋のものには、読者はある満足を感じ、したがって非常な興味を抱くのである。」をひきながら、探偵小説流行の意味を考えました。
以上の孤蝶の発言から、孤蝶が文藝と探偵小説の間を取り持とうとしていることが見えてくると思います(続く)。
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10月8日(日)に開催された「めざめる探偵たち」展のイベント、記念講演会「日本の探偵小説は、高知から生まれた」でお話をしてまいりました。
明治20年代以降、黒岩涙香が書き始めた探偵小説(翻案)は、長い間低級な小説として扱われてきました。しかし、森下雨村はそういう探偵小説を見直し、海外のきちんとした面白い探偵小説を自らが編集した『新青年』に翻訳して掲載することにしました。その結果、大正10年以降の探偵小説のブームを支えることになりました。
大正11年の秋には、馬場孤蝶の講演を聞いた江戸川乱歩が「二銭銅貨」を雨村に送りました。それを読んだ雨村が大絶賛し、『新青年』大正12年4月増大号に掲載されたのは、日本の創作探偵小説史に興味のある方ならご存じのことだと思います。そういった出来事が大きな力となり、大正14年頃には探偵小説はブームとなって、出版界を賑わせました。その土台を支えたのが、雑誌『新青年』であり、雨村や馬場孤蝶の探偵小説の紹介だったのです。
黒岩涙香、馬場孤蝶そして森下雨村――彼らは皆、高知の出身でした。これら高知出身の三人の作家達の力により、日本の探偵小説の夜が明けたのでした。
というような内容のことを下敷きにしまして、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村が探偵小説に果たした役割について、具体的なことをお話してきたのでありました。
上の写真は、配布されたレジュメです。6ページあります。講演前に控え室でチェックをしていました。(続く)。
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予告していた翻訳長編小説の連載を、今週から開始します。
アナーキストの車輪
マックス・ペンバートン
平山雄一・訳
第一章 ブルース・インガソルが語り始める
この十二ヶ月間に私の身に降りかかった奇妙な事件について、包み隠さず書けと言われた。これは司法当局からの要求なので、拒否するわけにもいかない。友人であるジェハン・カヴァナーと彼を裁いた裁判所のために、義務を果たすとしよう。この完成を願っている人々の期待にそえるといいのだが。もっと以前からのことを書いてくれという意見には、耳を貸さない。この驚くべき事件の謎を解きほぐすには玄人の腕が必要であり、すべての出来事を順序よく原稿の上に並べていくなどということは、僕の任ではない。一般大衆が気に入るように、どこから初めてどこで終わればいいのかなど、さっぱりわからない。僕自身としては、昨年六月に開催されたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに所属するフェローのガーデンパーティ以前のことは、まったくなにも知らないのだ。そしてガーデンパーティそのものだって、美しい女性からくだらない迷信を聞かされた場所だということでしかない。僕の従姉妹のウナと伯母のレディ・エルグッドは、この的外れな名前の五月週間のために、やってきた。僕は二人のためにジーザス・レーンに宿を見つけておいた。詳しいことはもう忘れてしまったが、十日ほどはとても楽しかったと思う。しかしこれがケンブリッジ大学での最後の学期だった。この後は海の物とも山の物とも知れぬ将来が待っていた。僕は今後の身の振り方について、何の計画もなかった。父が亡くなって以来、夢も希望もなかった。小さい頃から一緒に遊び回っていたウナさえも、僕を退屈だと言う始末だった。「そんな仏頂面をしていたら、私に将来のご主人様を見つけてくれないじゃないの、ブルース」彼女は文句を言った。僕は、現代の夫は重々しさを求めるのだと言い返した。「それに結婚は笑い事じゃないんだぞ――そのうちいい男が見つかるさ」と私は付け加えた。これは彼女によると、皮肉っぽいユーモアというらしい。先ほど触れたフェローのガーデンパーティで、こういう会話を交わしていた。僕はジーザス・カレッジの学生で、指導教員の一人が今回のパーティに招いてくれたのだ。彼の部屋で愉快な昼食を済ませた後に、パーティに参加をした。しかし彼はウナのご機嫌を損ねてしまったらしい。せっかくのチャンスだったのに、頬髭と、楽しい会話の途中でいきなり「え、なんだって?」と何度も言う癖がいけなかったようだ。僕たちがトリニティ・ガーデンズに到着すると、テントの入り口あたりでまんまと彼をまいてしまった。この中では素人の女性手相見が、チャリティー目的で占いをしていた。もっとも伯母の意見では、単にフェローの手を握りたいだけだということだが。僕はウナにせっかくだから占ってもらえとけしかけた。「中に入って三ペンス払えよ。ここにぐずぐずしているわけにもいかないんだから。未来の旦那様を占ってもらうといい――鬼が出るか蛇が出るか、わからないがね。手相見に君の名前を言うんじゃないぞ。そんなことをしたら追い出されるかもしれないからな。もちろん、当たるさ。当たらなかったら、生きているかいがないじゃないか。中に入ってインドのマハラジャを掴まえなよ――三ペンスだったら安いものじゃないか、ウナ」彼女はそれを聞いて大笑いした。お人好しで陽気なウナは、いつも僕が言っている通りあまり頭はよくないが、決して切り札は手放さない女の子なのだ。僕たちが言い争っていると、男がテントから出てきた。彼は学部長だった――僕の学部ではなかったが――そしてすぐに彼女に僕と同じく占いを勧めた。「大いに気に入ったよ」と、学部長は言った。「「彼女は私が学生時代にかかった病気を見事言い当てたし、結婚しているということも見破った。手の形が変わっているので、秘密がばれてしまうに違いない。この分野の入門書を読んでみるつもりだ――それにかなりの美人だしね」彼は付け加えると、笑顔のまま急ぎ足で立ち去った。この宣伝はウナには十分すぎるほどだった。彼女は財布をさっとひったくると、あっという間にテントの中に飛び込んでいった。再び外に出てきたときには、興奮した様子で頬を真っ赤にし、青い瞳はまるで大きなトルコ石のように見開いていた。栗色の髪の毛は逆立っていた。明らかに激怒している様子だ。「どうだった?」僕は質問した。「とんでもないドラネコよ」彼女は吐き捨てた。「私はオールドミスのまま死ぬんですって」「三ペンスを支払い忘れたんじゃないのか、ウナ?」「そんなことないわ。でも出てくるときに、取り上げてやったわ。あんなのにお金が払えるわけがないでしょ!」「おいおい」僕は言った。「そういうものは反対になるのが定番てものだ。たった三ペンスで何を期待していたんだい、ウナ? 今日は未来の夫の大漁日じゃないか。そんなものに耳を貸すなよ」彼女の怒りは収まらなかったが、ちょうどそのときメアリー伯母が現れた。二人とも、僕も緑色のフェルトのテーブルで待ち構えているピューティアー【訳註:ギリシャ神話に登場する女神官・預言者】のご託宣を聞くべきだと言い張った。さきほど占ってもらった学部長と同じくらいよく当たるかどうか確かめてもらえというのだ。「まあ、絞首刑になる運命の男は、溺れ死にはしないだろうな」と僕は言ってへらへらしながら、テントの中に入って問題の女占い師に会った。彼女は本当に美人の子だった。そしてテント内を照らす薄暗く荘厳そうな明かりのおかげで、彼女の頬に塗りすぎた紅も気にならなかった。首には金の鎖をかけていたので、いつも蛇をくびにかけているのではないかと、想像させた。一方でかわいい手にはかなり大きなダイヤモンドの指輪がぎらぎらと光っていた。真っ白なドレスを身につけている。そして肩まで腕をむき出しにしていた。彼女はもっともらしい表情で僕を迎え入れた。そして即座にお茶目な瞳でじっとこちらを見つめた。「今まで手相を見てもらったことはありますか?」彼女は質問した。僕は占いは今まで一度もやったことがないと答えた。「では手相学を信じないのですね?」「全く全然」やりとりは友好的に始まり、その雰囲気はずっとそのまま続いた。彼女の顧客は――おそらく男性だろう――彼女のかわいい両手で自分の手をさすったり押したりされてご満悦なのだろうと、思った。散々彼女に手をいじられた末に、長い間顔をじっと見つめられた。彼女は僕に子供の頃病気をしたかどうか、質問をした。「はしかです」僕は言った。「ほかにもいろいろ」「まあ! かなり重い病気にかかったこととか、その後外国に行ったことはありましたか?」「覚えている限りでは、おたふく風邪にかかったあとに、ブローニュに行きました」これには彼女は悩んでいるらしい。かなり真剣に考え込んでいる様子だった。やがて彼女はこう言った。「最近大切な方を亡くされましたね――お父さんかお母さんを?」「その通りです。父が八ヶ月前に亡くなりました」「お亡くなりになったせいで、あなた自身に大きな変化がありましたね?」「そうなのか、そうでないのか、あなただったらわかるはずでしょう」「あなたには芸術家の気質があります。小説を書いたり絵を描いたりしていませんか?」「小さい頃に玄関の手すりにペンキを塗ったことがくらいしか心当たりはありません。物書きのほうは当たっていると言えなくはないですが、もしかしたら僕の名前を隔週雑誌で見たことがあるんじゃないですか?」彼女は厚化粧の下で赤面をした――かなり紅をぬりたくっていたのは、学部長も証人になってくれるだろう。僕の反論に彼女は戸惑った様子だった。彼女はまだ頑張ろうとしたので、頑固と頑固のぶつかり合いになった。「あなたは見知らぬ人と出会います」彼女はやがて大きな声で言った。「彼があなたに幸せをもたらすか、それとも不幸をもたらすかは、私にはわかりません。あなたは結婚をするでしょう――たくさんのトラブルと頭と心の葛藤の末に。いい一生を送りますが、恋愛能にたけているとはいえません。あなたの人生に介入してくる男に注意なさい。私が言えるのはそれだけです、インガソルさん」彼女はもう一度僕をじろりと見た。手相から知った以上のことをよく知っている人間の視線だった。そして僕はテントを出た。明日、ジェハン・カヴァナー氏と会う予定だったことを、思い出した。(続く)