まず、はじめは黒岩涙香の略歴を簡単にお話しました。その次に『今日新聞』に連載した翻案「法廷の美人」が好評を博したことを述べました。ここでヒュー・コンウェイ原作の「暗き日々 Dark Days」との違いを語り、そこから最初の創作探偵小説といわれている「無惨」の特徴を述べました。
その後、涙香が探偵小説の翻案を書かなくなり、「鉄仮面」「巌窟王」などの奇談を書いたことをしゃべりました。また、硯友社の探偵小説退治のことや『都新聞』の探偵実話が流行ったことなど、明治44年の終わり頃、映画「ジゴマ」の大ヒット、そして上映禁止のことなど、時代の流れを語り、馬場孤蝶への橋渡しとしました。
二番目は、馬場孤蝶の紹介です。島崎藤村らの『文学界』の同人だった馬場孤蝶の略歴を最初に述べました。探偵小説に関して、森下雨村との関わり、大衆文学のサロンとしての泊鷗会のこと、大正11年9月に神戸図書館の講堂で講演をしたことなどをしゃべりました。この講演には江戸川乱歩や横溝正史らが来ていて、乱歩の創作熱を再燃させたことは、日本の探偵小説の歴史のうえでは大きな出来事になっています。
泊鷗会においては、馬場孤蝶の「文藝の社会化問題」を取り上げ、孤蝶の「文藝の社会化か――社会の文藝化か」(『読売新聞』大正9年12月24日~25日付)というエッセイを元にして、その問題提起の意味を考えました。孤蝶のそういう関心が、探偵小説への興味につながっていくのではないでしょうか。
また、雨村の編集した博文館の『新青年』が探偵小説の流行を生んだことに対して、孤蝶のエッセイ「探偵小説の興味の核心」(『サンデー毎日』大正11年9月24日号)で述べられた「何だか難しそうで、まるで謎でも解くような気のするようなのが、最も探偵小説として読者に歓迎させるのである。作者が語っている間に、読者は朧気ながら、何者かをさとり、それらしい事を知る云ったような筋のものには、読者はある満足を感じ、したがって非常な興味を抱くのである。」をひきながら、探偵小説流行の意味を考えました。
以上の孤蝶の発言から、孤蝶が文藝と探偵小説の間を取り持とうとしていることが見えてくると思います(続く)。
コメント