予告していた翻訳長編小説の連載を、今週から開始します。
アナーキストの車輪
マックス・ペンバートン
平山雄一・訳
アナーキストの車輪
マックス・ペンバートン
平山雄一・訳
第一章 ブルース・インガソルが語り始める
この十二ヶ月間に私の身に降りかかった奇妙な事件について、包み隠さず書けと言われた。これは司法当局からの要求なので、拒否するわけにもいかない。友人であるジェハン・カヴァナーと彼を裁いた裁判所のために、義務を果たすとしよう。この完成を願っている人々の期待にそえるといいのだが。
もっと以前からのことを書いてくれという意見には、耳を貸さない。この驚くべき事件の謎を解きほぐすには玄人の腕が必要であり、すべての出来事を順序よく原稿の上に並べていくなどということは、僕の任ではない。一般大衆が気に入るように、どこから初めてどこで終わればいいのかなど、さっぱりわからない。僕自身としては、昨年六月に開催されたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに所属するフェローのガーデンパーティ以前のことは、まったくなにも知らないのだ。そしてガーデンパーティそのものだって、美しい女性からくだらない迷信を聞かされた場所だということでしかない。
僕の従姉妹のウナと伯母のレディ・エルグッドは、この的外れな名前の五月週間のために、やってきた。僕は二人のためにジーザス・レーンに宿を見つけておいた。詳しいことはもう忘れてしまったが、十日ほどはとても楽しかったと思う。しかしこれがケンブリッジ大学での最後の学期だった。この後は海の物とも山の物とも知れぬ将来が待っていた。僕は今後の身の振り方について、何の計画もなかった。父が亡くなって以来、夢も希望もなかった。小さい頃から一緒に遊び回っていたウナさえも、僕を退屈だと言う始末だった。
「そんな仏頂面をしていたら、私に将来のご主人様を見つけてくれないじゃないの、ブルース」彼女は文句を言った。
僕は、現代の夫は重々しさを求めるのだと言い返した。
「それに結婚は笑い事じゃないんだぞ――そのうちいい男が見つかるさ」と私は付け加えた。これは彼女によると、皮肉っぽいユーモアというらしい。
先ほど触れたフェローのガーデンパーティで、こういう会話を交わしていた。僕はジーザス・カレッジの学生で、指導教員の一人が今回のパーティに招いてくれたのだ。彼の部屋で愉快な昼食を済ませた後に、パーティに参加をした。しかし彼はウナのご機嫌を損ねてしまったらしい。せっかくのチャンスだったのに、頬髭と、楽しい会話の途中でいきなり「え、なんだって?」と何度も言う癖がいけなかったようだ。僕たちがトリニティ・ガーデンズに到着すると、テントの入り口あたりでまんまと彼をまいてしまった。この中では素人の女性手相見が、チャリティー目的で占いをしていた。もっとも伯母の意見では、単にフェローの手を握りたいだけだということだが。僕はウナにせっかくだから占ってもらえとけしかけた。
「中に入って三ペンス払えよ。ここにぐずぐずしているわけにもいかないんだから。未来の旦那様を占ってもらうといい――鬼が出るか蛇が出るか、わからないがね。手相見に君の名前を言うんじゃないぞ。そんなことをしたら追い出されるかもしれないからな。もちろん、当たるさ。当たらなかったら、生きているかいがないじゃないか。中に入ってインドのマハラジャを掴まえなよ――三ペンスだったら安いものじゃないか、ウナ」
彼女はそれを聞いて大笑いした。お人好しで陽気なウナは、いつも僕が言っている通りあまり頭はよくないが、決して切り札は手放さない女の子なのだ。僕たちが言い争っていると、男がテントから出てきた。彼は学部長だった――僕の学部ではなかったが――そしてすぐに彼女に僕と同じく占いを勧めた。
「大いに気に入ったよ」と、学部長は言った。「「彼女は私が学生時代にかかった病気を見事言い当てたし、結婚しているということも見破った。手の形が変わっているので、秘密がばれてしまうに違いない。この分野の入門書を読んでみるつもりだ――それにかなりの美人だしね」彼は付け加えると、笑顔のまま急ぎ足で立ち去った。この宣伝はウナには十分すぎるほどだった。彼女は財布をさっとひったくると、あっという間にテントの中に飛び込んでいった。再び外に出てきたときには、興奮した様子で頬を真っ赤にし、青い瞳はまるで大きなトルコ石のように見開いていた。栗色の髪の毛は逆立っていた。明らかに激怒している様子だ。
「どうだった?」僕は質問した。
「とんでもないドラネコよ」彼女は吐き捨てた。「私はオールドミスのまま死ぬんですって」
「三ペンスを支払い忘れたんじゃないのか、ウナ?」
「そんなことないわ。でも出てくるときに、取り上げてやったわ。あんなのにお金が払えるわけがないでしょ!」
「おいおい」僕は言った。「そういうものは反対になるのが定番てものだ。たった三ペンスで何を期待していたんだい、ウナ? 今日は未来の夫の大漁日じゃないか。そんなものに耳を貸すなよ」
彼女の怒りは収まらなかったが、ちょうどそのときメアリー伯母が現れた。二人とも、僕も緑色のフェルトのテーブルで待ち構えているピューティアー【訳註:ギリシャ神話に登場する女神官・預言者】のご託宣を聞くべきだと言い張った。さきほど占ってもらった学部長と同じくらいよく当たるかどうか確かめてもらえというのだ。
「まあ、絞首刑になる運命の男は、溺れ死にはしないだろうな」と僕は言ってへらへらしながら、テントの中に入って問題の女占い師に会った。
彼女は本当に美人の子だった。そしてテント内を照らす薄暗く荘厳そうな明かりのおかげで、彼女の頬に塗りすぎた紅も気にならなかった。首には金の鎖をかけていたので、いつも蛇をくびにかけているのではないかと、想像させた。一方でかわいい手にはかなり大きなダイヤモンドの指輪がぎらぎらと光っていた。真っ白なドレスを身につけている。そして肩まで腕をむき出しにしていた。彼女はもっともらしい表情で僕を迎え入れた。そして即座にお茶目な瞳でじっとこちらを見つめた。
「今まで手相を見てもらったことはありますか?」彼女は質問した。
僕は占いは今まで一度もやったことがないと答えた。
「では手相学を信じないのですね?」
「全く全然」
やりとりは友好的に始まり、その雰囲気はずっとそのまま続いた。彼女の顧客は――おそらく男性だろう――彼女のかわいい両手で自分の手をさすったり押したりされてご満悦なのだろうと、思った。散々彼女に手をいじられた末に、長い間顔をじっと見つめられた。彼女は僕に子供の頃病気をしたかどうか、質問をした。
「はしかです」僕は言った。「ほかにもいろいろ」
「まあ! かなり重い病気にかかったこととか、その後外国に行ったことはありましたか?」
「覚えている限りでは、おたふく風邪にかかったあとに、ブローニュに行きました」
これには彼女は悩んでいるらしい。かなり真剣に考え込んでいる様子だった。やがて彼女はこう言った。
「最近大切な方を亡くされましたね――お父さんかお母さんを?」
「その通りです。父が八ヶ月前に亡くなりました」
「お亡くなりになったせいで、あなた自身に大きな変化がありましたね?」
「そうなのか、そうでないのか、あなただったらわかるはずでしょう」
「あなたには芸術家の気質があります。小説を書いたり絵を描いたりしていませんか?」
「小さい頃に玄関の手すりにペンキを塗ったことがくらいしか心当たりはありません。物書きのほうは当たっていると言えなくはないですが、もしかしたら僕の名前を隔週雑誌で見たことがあるんじゃないですか?」
彼女は厚化粧の下で赤面をした――かなり紅をぬりたくっていたのは、学部長も証人になってくれるだろう。僕の反論に彼女は戸惑った様子だった。彼女はまだ頑張ろうとしたので、頑固と頑固のぶつかり合いになった。
「あなたは見知らぬ人と出会います」彼女はやがて大きな声で言った。「彼があなたに幸せをもたらすか、それとも不幸をもたらすかは、私にはわかりません。あなたは結婚をするでしょう――たくさんのトラブルと頭と心の葛藤の末に。いい一生を送りますが、恋愛能にたけているとはいえません。あなたの人生に介入してくる男に注意なさい。私が言えるのはそれだけです、インガソルさん」
彼女はもう一度僕をじろりと見た。手相から知った以上のことをよく知っている人間の視線だった。
そして僕はテントを出た。明日、ジェハン・カヴァナー氏と会う予定だったことを、思い出した。
(続く)
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