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"国内小説"カテゴリーの記事一覧

  • 松野一夫と「七二八号囚の告白」

    『旬刊写真報知』大正141925)年525日号(315号)には、牧逸馬の「七二八号囚の告白」が掲載されています。挿絵は松野一夫。そのタッチは、大正51916)年に松野一夫が師の安田稔とともに樺太を取材したときに残したスケッチの感じとよく似ています。

    以下に掲げてみましょう。



    これは、七二八号囚と呼ばれるイエーツが収監された部屋の中で悩んでいるシーンだと思われます。他人をかばって刑務所に入っているイエーツでしたが、今にも妻が亡くなりそうになっています。それを知った刑務所の所長がイエーツを妻のところを連れて行きます。ようやく間に合ったイエーツは、妻に「釈放された」と嘘をつき、最後のキッスをします。別れを告げたイエーツが、また刑務所へ戻ろうとします。それが次のシーンになっています。


    松野一夫の描くイエーツは、どうにもならない寂しさを抱えているように見えます。物語は、そのすぐあと、イエーツの開き直ったセリフで終わるのですが、牧逸馬の描くイエーツの姿はあまりにも哀しいものとして浮かび上がってきます。短篇ながら佳作です。

    たった二枚の挿絵ですが、イエーツの揺れ動く感情を見事に現しているのではないでしょうか。なお、「七二八号囚の告白」は、『牧逸馬傑作選6』(山手書房新社、1993)に収められています。

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  • 松野一夫と「大下君の武勇伝」

    松野一夫は、大正時代に博文館発行の『新青年』以外の雑誌にも挿絵を描いていました。とくに『旬刊写真報知』に掲載された探偵小説に描いていることが多かったです。

     

    今回紹介するのは、甲賀三郎の短篇「大下君の武勇伝」の挿絵になります。この作品は、『旬刊写真報知』大正14年5月5日号(3巻13号)に掲載されたものです。現在、図書館などに収められている甲賀三郎『恐ろしき凝視』春陽堂、1999(復刻版)で読めます。

     

     

    「大下君」といっても、探偵小説作家の大下宇陀児のことではなく、作中の人物「大下辰馬(たつま)君」のことになります。その大下君の武勇伝の話です。友人宅を訪れた大下君は、夜の10時すぎに暇を告げ、東京の祐天寺から目黒駅へと急いでいました。目黒川を渡って、白金の高台を通るところに、陸軍の火薬製造所の一部が建っています。あたりは暗いし、寂しいので大声で謡曲をうたっていましたが、そこに印半纏を着た男が現れ、いきなり怒鳴り始めました。文句をつけられた大下君は紳士なので、黙って行きすぎようとしましたが、男は大下君に襲いかかりました。そのとき大下君は詫びて逃げようとしましたが、追いつかれ、絶体絶命のピンチになりました。仕方なく、大下君は反撃に出て、角力の「素首落とし」で、相手を組み伏せます。その場面の挿絵になります。それにしても、大下君は、甲賀三郎にしか見えませんね(苦笑)。松野一夫は意図したのでしょうか?

     

     

    この挿絵は、警察で警部にそのときの事情を説明している場面になります。雰囲気が良く出ています。

     

    雑誌に掲載された作品に、挿絵がついていると、物語にぐっと臨場感がでてきます。読者も引き込まれやすい。松野一夫の挿絵は、雑誌の読者に命を与えていると思います。

  • 「没後50年 松野一夫展」に行ってきました(下)

    私が松野一夫の絵に興味を持ったのは、『聞書抄』(博文館新社、1993年)で、ご子息の松野安男さんのインタビューにうかがってからです。これは19913月におこなったもので、もう32年以上も前のことになります。その後、1998101日から1225日まで弥生美術館で開催された「『新青年』の挿絵画家 松野一夫展 昭和モダン・ボーイズ グラフィティ」を見て、改めて松野一夫の画業における多様な試みに驚かされました。また、そこでも、『新青年』のすべての表紙が、縮小コピーでしたが、飾られていたのを覚えています。

     

    今回、松野一夫の出身地である小倉で開催された「松野一夫展」ですが、故郷に錦を飾るではないですけれど、たくさんの絵画展示があり、松野一夫の画業のほとんどが見られました。すごいです。彼のスタイル、モチーフの変遷を示していると同時に、絵に対する好奇心の発露も現れているようにも感じられました。たとえば、松野一夫が描いた江戸川乱歩の肖像画には、二種類あることで知られています。同じ構図なんですが、でも表情が違うのですね。一つは柔和な表情の絵柄で『別冊宝石』195411月号の表紙を飾ったもの、もう一つは乱歩邸の応接間に飾られている威厳ある表情の正統的な肖像画です。

    これらは松野一夫が一般大衆に見せる目的と乱歩個人への贈呈用とで描き分けたと言われています。これに関して、栗田卓さんが「江戸川乱歩と松野一夫~二つの肖像画~」(『立教大学江戸川乱歩記念大衆文化センター センター通信』第2号、20087月)の中で考察されており、ご存じの方も多いと思いますが、実際にこの松野一夫展で見てみますと、松野一夫のタッチの違いといいましょうか、対象への好奇心も溢れているようにも感じられました。面白いですね。こういう比較が直接できるところが展覧会の醍醐味だと思います。本当に素晴らしい展覧会でした。

    翌日は、美術館近くの松本清張記念館へ行きました。ちょうど「清張 福岡紀行」という特別企画展を開催していまして、福岡を舞台とした松本清張の作品を解説、展示していました。なかでも、木俣正剛さんの「或る『削除の復元』伝」の寄稿は読み応えがあり、作品当時の様子が伝わってきて、松本清張の取材の様子がよくわかりました。

    松本清張記念館は、初めて訪れたのですが、とても良いところですね。松本清張の自宅一部(仕事場や書庫、応接間など)を実物大にした展示は圧巻でした。これは展示の仕方としてたいへん面白いです。また、機会があったら、訪れたいです(終)。

  • 「没後50年 松野一夫展」に行ってきました(上)

    916日~1112日まで、北九州市立美術館分館でおこなわれた「没後50年 松野一夫展」に行ってきました。開催場所が北九州市の小倉だったので、私(湯浅)の住んでいる群馬県からは遠かった。しかし、なんだか、どうしても行きたくなり、足を運ぶことにしたのです。

     

    小倉駅からは、そう遠くないところにリバーウオーク北九州という立派なビルがあり、その5階が北九州市立美術館分館になっています。たいそう大きなビルでして、それぞれの階で、アミューズメント施設や飲食店があり、充実していました。ビルの南側には、小倉城があり、観光客もたくさん訪れていました。秋晴れだったので、天守閣も映えて、またお堀も秋らしい風情を見せていました。良かったです。

     

    さて、松野一夫展ですが、これは素晴らしい展示になっていました。松野一夫の絵の魅力をあますところなく伝えているのです。以下に、会場で6章で構成された展示テーマを記します。

    1. 上京、デビューまで
    2. 挿絵画家としての活躍
    3. 憧れのパリへ
    4. 帰国後の仕事
    5. 戦後、探偵小説と子どものための本
    6. 新たな画境へ

    それぞれのテーマにそった展示になっていまして、これらの流れで、松野一夫の仕事をすべて網羅していると思われます。さらに、これらの展示の最後に、まとめとして、『新青年』の全表紙が発行順にすべて飾られていました。これは迫力がありましたよ。

    ところで、少し驚いたことがありました。第2章の展示説明の文のところで、『新青年』研究会の末永昭二さんや私の名前を見つけたことです。末永さんは、松野一夫の画中のサインについて、同じく私の方は森下雨村と松野一夫がシャグランブリッジというトランプゲームでよく遊んだことについての説明で、各自の言葉が引用されていました。『新青年』研究の成果が見られて、長くやってきて良かったと、思わず感慨深くなってしまいました。また図録も大変立派で、展示された絵が色鮮やかに掲載されていました。まるで松野一夫の魅力が詰まった宝石箱のようです(続く)。

     

  • 「めざめる探偵たち」展へ行ってきました(3)

    最後にお話をしたのが、森下雨村のおこなった探偵小説に果たした役割です。雨村は、大正9年に創刊された博文館の『新青年』の初代編集長を務めました。そのとき、海外の探偵小説の紹介に努め、江戸川乱歩らに創作の舞台を提供し、さらに横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、牧逸馬、夢野久作らなどの多くの作家を世の中に送り出し、探偵小説文壇に大きなエネルギーを注入したことで知られています。

    雨村は、明治42年に早稲田大学英文科へ入学します。そこで長谷川天渓や馬場孤蝶を知り、また片上伸から英訳版のドストエフスキー「罪と罰」を読むことを命じられます。雨村は感銘を受け、ロシア文学を研究するようになります。馬場孤蝶が大正4年に衆議院選挙に立候補したとき、選挙資金を集めるために編んだ『孤蝶馬場勝弥氏立候補後援――現代文集』(実業之世界社)には、クロポトキンの「農奴」を訳して寄稿したり、大正9年には孤蝶、佐藤緑葉との共訳で同じくクロポトキン『露西亜文学講話』『露西亜文学の理想と現実』を発行したりしていました。雨村は、このようにロシア文学を根っこに持ちながら、自分の文学生活を紡いでいきました。

    雨村は、若者向け総合雑誌『新青年』を発行するとき、なにか目玉になる読み物を考えていました。彼は「冒険的な読物雑誌は時勢に後れているというところから出発したこと故、冒険小説などはなるべく避けたい、と云って文芸的な小説でもいけないというところから考えついたのが、探偵小説である」と述べました(「十年前の『新青年』」『新青年』昭和41月号)。この発言からわかるように、探偵小説を『新青年』の目玉にしようと、雨村の試行錯誤が始まりました。

    大正11年の暮れには、江戸川乱歩から「二銭銅貨」「一枚の切符」の原稿が博文館の雨村のもとに送られてきました。これらは、同じ年の秋に、孤蝶が神戸図書館の講堂で探偵小説について講演したのを乱歩が聞いて、放っておいた原稿を再び書き直し始める気持ちになって、執筆したものです。最初、孤蝶に送ったものですが、孤蝶は忙しくて読む閑がありませんでした。乱歩は送り返してもらいました。そして改めて雨村に送りました。雨村も忙しく抽き出しに入れたままになっていましたが、乱歩から催促の手紙が来て、ようやく読むことになりました。

    そうしたら、大変! 凄い作品でした。びっくりした雨村は、名古屋の小酒井不木に読んでもらおうと思い、原稿を送りました。不木も大絶賛。ここに素晴らしい日本の創作探偵小説が誕生したのです。

    その「二銭銅貨」が華々しく『新青年』に掲載されたのは、大正124月増大号でした。雨村が孤蝶に探偵小説を教え、孤蝶はそれをテーマに神戸で講演し、それを聴いた乱歩が雨村に作品原稿を送る。森下雨村の蒔いた探偵小説という〈種〉は、孤蝶を介し、乱歩が創作探偵小説という〈花〉を咲かせて見事に戻ってきたのです。

    このようなことを中心にお話をして、最後に雨村の提唱した「軽い文学(ライト・リテラチャー)」(昭和10年)が、現在のキャラクターを重視するライトノベルやアニメの物語のあり方を予言したものであったかもしれないという、壮大な展望を示して終わりにしました。高知の生んだ三人の作家、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村が、日本の探偵小説の礎を築いていったことがわかると思います。

    ところで、文学館入り口左側のショップでは、ヒラヤマ探偵文庫を扱っていただいています。馬場孤蝶『悪の華』、森下雨村訳『謎の無線電信』、馬場孤蝶訳『林檎の種』、森下雨村『二重の影』の4冊になります。『悪の華』と『謎の無線電信』は、第二版です。

    文学館の皆様、ありがとうございました。興味のある方は、読んでいただけるとうれしいです。

    さて、108日の講演会は終わりましたが、「めざめる探偵たち」展は、まだまだ続きます。このブログをお読みになって、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村の探偵小説に興味を持たれた方は、ぜひ高知県立文学館へお越しください。よろしくお願いいたします。

    翌日は、「森下雨村顕彰碑」を佐川町に見に行きました。きれいに整備されていて、趣きがありました。行くことができて、よかったです(終)。

    なお、講演会の写真は平山雄一さんに撮っていただきました。