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次にご紹介するのは、ヒラヤマ探偵文庫二冊目だった「インド帝国警察カラザース」です。
1906年のこの作品、植民地時代のインド帝国を舞台にした「シャーロック・ホームズのライバルたち」の一冊で、とても珍しいとおもいます。
こんな作品をどこで見つけたかというと、なんと
に掲載されていたのです。この時代にすでにご存知だった押川先生の慧眼に圧倒されます。
ご覧の通りです。
びっくりですね。
で、一生懸命探したところ、なんと復刻ファクシミリ版が2013年に発行されていたことが判明しました。
ハードカバーです。
中扉です。オリジナルそのまま、挿絵も入っています。できれば初出雑誌も知りたいところでしたが、さすがにそこまでは。
こんな挿絵が入っています。イギリス人のお役人が狼狽えています。
こちらは、カラザースに証言をするインド人。地べたに座っています。これを差別と見るか、インド人はこちらが楽なのかは、わかりません。
著者は実際にインドで警察業務に関わっていたそうで、他にも数冊著書があるようです。
残念ながらヒラヤマ探偵文庫は、売り切れになってしまいました。
重版の予定はありません。
現在販売している本も、残りがあと4、5冊というのもありますから、どうぞお買い逃しのありませんように。
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ヒラヤマ探偵文庫の最新刊は、ヘンリー・レヴェレージ、加藤朝鳥・平山雄一共訳の『囁く電話』(ヒラヤマ探偵文庫26)です。この作品は、加藤朝鳥が『新青年』大正11(1922)年1月号~4月号まで訳したのですが、そこで中絶してしまいました。しかし残りの部分を、平山雄一さんが訳して、現代に蘇らせたものです。時空を越えた翻訳コラボになります。新しい試みであると同時に、「翻訳とは何か」を考えるきっかけにもなるかもしれません。小酒井不木は、『毒及毒殺の研究』(『新青年』大正11年10月号~大正12年1月号)のなかで、「囁く電話」のトリックについて触れています。作品のキモをそのまま述べているのだから、はたしてそれで良いのか、悪いのか?アメリカではフォックス社によって、大正15(1926)年に映画化されていました。日本には昭和2(1927)年に入ってきています。ヒラヤマ探偵文庫版の表紙は、その映画のスチールから取ってみました。下の写真一枚目は、マグネー氏の書斎。二枚目は、マグネー氏の娘、ロリス・モントゴメリとメイド。映画では、ストーリーが改変されていて、ドリウ探偵の出番はなく、代わりにロリスの恋人のバリーが活躍する話になっているようです。お買い求めは、BOOTH SHOP「ヒラヤマ探偵文庫JAPAN」からどうぞ。
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前回はヒラヤマ探偵文庫の第一作「スーザン・デアの事件簿」を取り上げたので、今回は最新刊「ロンドン夜と昼」を取り上げましょう
この本は、1953年に発行されたロンドンガイドブックで、観光名所を回るためというよりも、ロンドン市民がどんな生活をしているのかというのを体験するためのものです。
ですから普通のロンドン市民が通うレストランやパブ、商店などが詳細に紹介されています。
なおこの本も「ベデカー・ロンドン案内」と同じように、現存している店のホームページやグーグルマップにリンクするQRコードを、添付しました。
ちなみに原書の表紙がこれです。
横長のペーパーバックで、なかなかイラストがオシャレですね。
中にもたくさんイラストが入っているのですが、残念ながら翻訳には収録できなかったので、ちょっとだけここでご紹介しましょう。
これはどこでしょう。
右側の塔は、トラファルガー広場のネルソン記念柱でしょうか。
山高帽子に傘を手に、タクシーを呼んでいる絵に描いたような英国紳士(の絵)。
まだこの時代にはこういう英国紳士がいたのですね。
英国紳士はレストランへ。カイゼル髭もまだまだ現役だった時代のようです。
ちなみにこの本は、海外で買ったのではなく、都内の古本市で購入したのです。案外国内でも手に入るものですね。
本書をお買い求めの際は、ヒラヤマ探偵文庫BOOTH SHOP「ロンドン夜と昼」からどうぞ。 -
長田幹彦の「九番館」が雑誌連載された頃は、人々の生活は汲々としていました。「九番館」の登場人物の原島貞一郎は、居留地にある、元は教会だった九番館と呼ばれる建物にやってきて、そこに貧民病院と親に見放された子どもたちのための貧児院を作ります。そう、世の中には貧しい孤児がたくさんいたのです。こういう社会状況を舞台にした大衆小説は、同時期に他にもありました。三上於菟吉の描いた「悪魔の恋」という小説です。これは『九番館』と同じ発行元の博文館が出している『講談雑誌』に大正10(1921)年1月から一年以上連載されました。「悪魔の恋」の主人公、江馬勇は立派な家の息子でしたが、あることをきっかけにして、実は自らの出自が孤児だということに気づきました。紆余曲折した後、孤児院を建設していくという話です。たぶん偶然だろうと思いますが、なぜ、この時期にこういう孤児を扱った作品が博文館の発行する雑誌に載ったのかは定かではありません。しかし、「孤児」というテーマを小説にするほど、世の中が困っていたのでしょうね。