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お待たせいたしました。
夏コミケの新刊、馬場孤蝶訳の『林檎の種』ヒラヤマ探偵文庫28ができました。この作品は、馬場孤蝶が創刊したばかりの『週刊朝日』の2号めから翻訳連載をした探偵小説になります。
大正11(1922)年3月5日号から5月14日号まで、全10回の連載でした。『週刊朝日』は創刊された当時は、『旬刊朝日』という名称でした。「旬刊」とは、10日に1回発行される刊行物のことをいいます。しかし創刊4号め(4月2日号)からは、『週刊朝日』に表題が変更されます。これは同じく4月2日号から発行された『サンデー毎日』に対抗するためでした。
そういう状況の中で馬場孤蝶訳の「林檎の種」が『週刊朝日』に連載され始めたのです。連載された本文には、「馬場孤蝶訳/古家新画」としかクレジットがありませんでした。原作者名がないんです。これは、加藤朝鳥訳『柬埔寨の月』(ヒラヤマ探偵文庫19)や森下雨村訳『謎の無線電信』(ヒラヤマ探偵文庫21)と同じパターンです。いずれも初出には原作者名が掲載されていませんでした。
しかし調査をしたところ、エドウィン・ベアード(Edwin Baird 1886-1954)の「Z」("Detective Story Magazine" Aug 27 1921)であることがわかりました。エドウィン・ベアードは、大正12(1923)年に創刊された怪奇、幻想、SF小説を届けた『ウィアード・テールズ』の初代編集長として知られています。しかし、この「Z」を書いた頃は、まだパルプ雑誌のライターだったようです。
そのような「林檎の種」になりますが、夏コミケでは、馬場孤蝶訳でこの作品を新刊でお届けできることになりました。馬場孤蝶のファンの皆さん、どうぞ、ご期待ください。
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今回は、未発表の原稿の一節をご紹介しましょう。
大正初めの英語の日本旅行案内です。
関東大震災以前ですので、明治時代や江戸時代の名残を残した東京で、夏目漱石や森鴎外が描いた東京でもあります。そして「鬼滅の刃」の時代でもあります。
その中で、外国人向けに日本の食事を紹介している部分をちょっとだけ、公開します。
当たり前に思っていることが、あー、なるほどと思うかも知れません。
米は様々な名前で呼ばれる。男性は「メシ」といい、より丁寧な言い方は「御膳」である。またより教養のある言い方(婦人が使う)は、「ご飯」だ。
外国人はすぐにこの非常に素晴らしい国産米を好きになるだろう。一粒一粒が優れていて、しかもちょうどいい粘り気があるので一塊として箸で持ち上げてもこぼすことがない。
あずき飯…米と茹でた赤えんどう豆を混ぜたもの。
餅…小さな生地状のケーキで米から作り、日本中で売っている。
寿司…米飯と魚、卵、野菜などからなり、酢と醤油で味づけられた食品の総称。
ちらし寿司…米飯に塩と酢で味をつけ、調理した魚、卵、野菜などを細かく切ったものを混ぜる。
箱寿司…上述の寿司を木箱に入れてプレスしたもの。
稲荷寿司…揚げた豆腐にちらし寿司を詰めたもの。
巻き寿司…米飯と野菜を巻いて、浅草海苔という海藻のシートで包んだもの。
蒸し寿司…ちらし寿司の一種で、陶器のボールに入れて蒸したもの。
握り寿司…塩と酢で味をつけた米飯の玉に、酢漬けの魚などを乗せたもの。
鮒寿司…鯉(鮒)が酢と塩で味付けした米飯の中に入っている(近江地方の名物)。
昆布寿司…酢で味付けした魚を、真昆布という食べられる海藻で包んだもの。この人気の食べ物は昆布巻とは違う。こちらは焼いた魚を昆布で巻き、縛って佐藤と醤油で煮たもの。その他:
茶碗蒸し…人気のあるシチュー(もしくはどろりとしたカスタードのスープ)で、卵、魚(または鶏肉)そして野菜が入っている。
茶碗…文字通りでは茶を入れるカップという意味だが、マッシュルームと薄い魚の切り身が入ったスープのこと。
佃煮…小さな魚を醤油で煮て、付け合わせや薬味として用いる。これをつくっているので有名な東京の佃島から名前がついた。
おでん…焼き豆腐、蓮根、ジャガイモなどのシチュー。労働者に人気。
口取り…甘い付け合わせやデザート(茹でた甘い栗、甘いオムレツのようなものなど)。
和え物…醤油または胡麻のペーストのサラダ。
香の物…大根、茄子、キャベツなどのピクルス。
汁粉…茹でた餅に餡(つぶした豆を砂糖で甘くしたもの)をかけた料理。
今川焼き…小麦粉の生地に砂糖味の豆を詰め、銅鍋で焼いたもの。この名前は、最初に作られた東京にある今川橋から取られた。庶民の子供に人気。外国人はこの菓子がちゃんと作られているかどうか注意が必要である。最近の首都圏の新聞によると、露天で食べた百人以上が中毒を起こしたそうだ。
煎餅…硬焼きビスケット(もしくは日本のクッキー)で、米か小麦粉で作られている。塩を加えると塩煎餅と呼ばれる。
今川焼きで食中毒なんて、びっくりです。火が通っているはずなのに。もしかしたら、作ってからよほど時間がたっていたのでしょうか。それとも汚い手で触ったのでしょうか。
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加藤朝鳥は、翻訳家、評論家として知られていますが、探偵小説を書いた作家でもありました。『虹の秘密』ヒラヤマ探偵文庫17は、朝鳥の書いた探偵小説を二編収録してあります。大正9(1920)年の「疑問の指先」と大正12(1923)年の「虹の秘密」です。いずれも女性を主人公にしているところに特徴があります。
今回、紹介したいのは、表題作の「虹の秘密」の挿絵です。この作品の中で主人公の橋本京子は、心霊現象を使って犯人を見つける手がかりにしたり、彼女が属している碧川心霊研究室の碧川博士を助けたりもしていました。その心霊現象とは、いわゆる千里眼のようなものです。碧川博士が言うには、人間の脳には色彩顫動という働きがあり、それを究極的に機能させていくと、他人のすること一切を見抜くことさえできるんじゃ、ということです。
橋本京子は碧川博士に導かれ、特別な部屋に案内され、台に乗せられ、そこにあった椅子に座ります。博士の指示に従い、思念を集中させます。そうすると、自分の身体が溶解していくような気持ちになり、なんだかわからない満足な感情に満たされます。耳の底の方ではたえず美しい音楽が鳴っている。やがて眼前いったいが緑色に覆われて、それが二つの濃緑色の点になって、真っ黒な闇になっていきます。そこで見えてきたものとは……?
このときの様子を描いたのが、下の写真の挿絵(『雄弁』大正12年5月号より)になります。これは、『虹の秘密』(ヒラヤマ探偵文庫17のP53~56)の一場面なんですが、どうでしょうか、すごい躍動的な構図になっていますね。
もう一枚、ご覧に入れます。ある日、碧川博士のポケットに、黒い菱形の物体が入れられていました。その一方の側は、漆のように黒いのですが、もう一方の側にはキリスト教の聖杯のような盃が彫ってあって、その盃の台のところを気味悪い一匹の蛇がぐるぐると蜷局を巻いているものでした。盃の色は、目が覚めるほど鮮やかな橙色をしています。
博士はこの不思議な物体をたいへん気にしていました。橋本京子は、新設された実験室に、博士とこの物体と一緒に入って精神を集中します。そうすると、盃の蛇が動き出して、盃は下に落ちて粉々に砕けてしまいます。と同時に、博士は突然立ち上がって、京子を叩いて、鋭い声を上げて外に出て行ってしまいました。その後、博士は行方不明になります。そのときの様子を描いたのが、以下の挿絵(『雄弁』大正12年8月号より。『虹の秘密』P94~100)です。
幻想的な雰囲気を持つ挿絵です。挿絵の画家は、クレジットされていませんでしたが、挿絵中のいくつかにある画家のサインから千川竿児なのではないかと推測しています。大正時代の千川の仕事はよくわかっていないので、もしそうだとしたら、貴重な挿絵になりますね。
いかがでしょうか。加藤朝鳥は翻訳家なので、海外作品に種本がありそうですが、それは置いておきまして、とにかくこの作品が『雄弁』大正12年5月号~8月号に掲載されていたのは面白いことだと思いました。
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以前Twitterでも言及しましたが、ヒラヤマ探偵文庫は夏のコミケ二日目に初参加いたします。
それにあわせて、新刊を出します。
「英国犯罪実話集2」です。
以前ご好評をいただいた「英国犯罪実話集」の続編です。今回も、「ストランド・マガジン」に掲載された実話を中心に、独自編集いたしました。内容は以下のとおりです。
探偵の学校――ベルチョンの肖像写真の新分類法 アルダー・アンダーソン
変装の技術 ウィリー・クラークソン
郵便局の犯罪 オースチン・フィリップス
ウィーンのラッフルズ ジョセフ・ゴロム
なぜ人間は犯罪に惹かれるのか アンナ・キャサリン・グリーン
犯罪者の追跡 各国の探偵方法の比較 ジョセフ・ゴロム
テムズ川警察との一夜
密輸業者の手口
阿片窟の一夜 「死人の日記」の著者
私の知っていること ウィリアム・ル・キュー
最後の「私の知っていること」は、「完訳版 秘中の秘」を以前ヒラヤマ探偵文庫でもご紹介したル・キューの単行本から、犯罪に関連する部分を抜き出しました。なかでも興味深いのは、彼がロシアの怪僧ラスプーチンの文書を手に入れ、その中に切り裂きジャックの正体が書いてあると紹介しているところです。ル・キューはイギリス政府に協力してスパイを働いていたとも称していますが、はたしてどこまで信用していいものやら。なんだか落合信彦とか、元刑事と称している某作家とかを連想してしまうのですが。 -
長田幹彦の書いた探偵小説「蒼き死の腕環」は、『婦人世界』大正13(1924)年1月号から12月号まで掲載された長編小説です。この当時は、文壇作家の人たちも探偵小説のブームを見過ごせなくなってきました。『新青年』大正13年8月夏季増刊号では、文壇人を交えた探偵小説への思いを特集で組んでいました。その中で長田幹彦は「探偵小説時代」というエッセイを寄せて、次のように述べています。
私は日本の探偵小説といふものには、疾うから失望してゐる。いろいろなものを読んでみても、何うも面白くない。此頃になつて、一寸とした興味から自分でも一つ二つ書いてみようと思つて、手馴らしに可成り苦心して書いてみたが、自分の思ふ十分の一の効果も得られない。
ここで「書いてみよう」とした作品が、「蒼き死の腕環」だったのでした。でも、これを読むと、あまり乗り気でなかったようです。しかし、できあがった作品は、長田の考える探偵小説の要素がいっぱいで、秘密結社は出てくるわ、かわいい綺麗な男の子は出てくるわ、蒼き腕輪をつけた房江はキワメつけの美人だし、キワどいエロい部分をあったりで、なかなかエンタメの要素が盛り沢山でした。大正13年という時代なんで、すごいと思います。しかも載っている雑誌が『婦人世界』ですからね。なかなか刺激的な作品でした。
実際、セリフが過激なので、伏せ字になったところもあります。下に掲げたページの△印の羅列のところががそうでして、豪華客船プレジデント・リンカーン号に乗せられて、アメリカに連れ去られる場面でした(『婦人世界』大正13年5月号より。『蒼き死の腕環』ヒラヤマ探偵文庫10、P70~73)。
船室でギブソンは無理な要求を房江にします。房江はそれを拒みます。怒ったギブソンが、笑いながら房江に話しかけているところです。左側の挿絵といっしょにみると、状況がよくわかります。
いったい、何て言っているのでしょうか。
こういう内容ですから、映画にしたら、当たるのではないかと考える製作会社もあったようです。連載中の『婦人世界』大正13年3月号の作品冒頭には、以下のような告知が載っていました。
「八月頃には活動写真にすることになりました」とありますが、実際には、映画化されなかったようです。されたら、よかったと思いますが、外国人がたくさん出てきたり、洋館、豪華客船なども使われたりしていますので、費用もかかって撮影が無理だったのでしょうね。
アメリカで排日移民法が成立した大正13年に、「蒼き死の腕環」のような作品が書かれたのは、長田幹彦にとって、何かしらの意味があったのかもしれません。
気になった方は、ヒラヤマ探偵文庫JAPANにお急ぎ下さい。