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  • 100億円もらって50年前に戻ったら
    最近のTwitter、いやエックスでは、「100億円もらって50年前に戻るか」というハッシュタグが流れてきているようです。
     私がフォローしている人はレトレスペクティヴな人が多いせいか、「戻る」と答えている人がほとんどのようですね。
     私だったらどうだろうと考えたら、即「戻る」ですね。
     なにしろ100億円です。
     現在と50年前の大きな違いはネットのありなしでしょうが、それは金で解決できます(笑)。
     ネットで何が便利かと言えば、まずメールですが、これは100億あれば国際電話もかけ放題です。
     もう一つは、本でも資料でも海外からどんどん取り寄せられるということですが、100億あればロンドンとニューヨークに別宅をかまえて、大英図書館やニューヨーク公共図書館にいきまくれます。むしろ今よりも便利かもしれません。英語に堪能な秘書を雇って、「翻訳しておいて」と言えますから。
     本だって今よりずっと安い上に、同じ100億でも50年前はもっと価値がありますから、貴重な資料も買いまくれます。昔々に神保町で「新青年」全冊揃いが600万円で売られていましたが、100億円あれば、ポンと即金で買うことだってできます。

     やろうと思えば出版社だってつくれますが…これは大損をこく可能性があるので、やめておきますか。ヒラヤマ探偵文庫くらいの規模が、日本全国にいる顧客の数を考えると適当なのかもしれません。下手に商業出版化して、在庫の山を抱えることになっては大変です。今だって在庫があるんですから。だからみなさん、助けると思ってバックナンバーお買い逃しの方、どうぞお買い上げくださいませ。
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  • 松野一夫と「大下君の武勇伝」

    松野一夫は、大正時代に博文館発行の『新青年』以外の雑誌にも挿絵を描いていました。とくに『旬刊写真報知』に掲載された探偵小説に描いていることが多かったです。

     

    今回紹介するのは、甲賀三郎の短篇「大下君の武勇伝」の挿絵になります。この作品は、『旬刊写真報知』大正14年5月5日号(3巻13号)に掲載されたものです。現在、図書館などに収められている甲賀三郎『恐ろしき凝視』春陽堂、1999(復刻版)で読めます。

     

     

    「大下君」といっても、探偵小説作家の大下宇陀児のことではなく、作中の人物「大下辰馬(たつま)君」のことになります。その大下君の武勇伝の話です。友人宅を訪れた大下君は、夜の10時すぎに暇を告げ、東京の祐天寺から目黒駅へと急いでいました。目黒川を渡って、白金の高台を通るところに、陸軍の火薬製造所の一部が建っています。あたりは暗いし、寂しいので大声で謡曲をうたっていましたが、そこに印半纏を着た男が現れ、いきなり怒鳴り始めました。文句をつけられた大下君は紳士なので、黙って行きすぎようとしましたが、男は大下君に襲いかかりました。そのとき大下君は詫びて逃げようとしましたが、追いつかれ、絶体絶命のピンチになりました。仕方なく、大下君は反撃に出て、角力の「素首落とし」で、相手を組み伏せます。その場面の挿絵になります。それにしても、大下君は、甲賀三郎にしか見えませんね(苦笑)。松野一夫は意図したのでしょうか?

     

     

    この挿絵は、警察で警部にそのときの事情を説明している場面になります。雰囲気が良く出ています。

     

    雑誌に掲載された作品に、挿絵がついていると、物語にぐっと臨場感がでてきます。読者も引き込まれやすい。松野一夫の挿絵は、雑誌の読者に命を与えていると思います。

  • 野村胡堂・あらえびす記念館にいってきました
    ご先祖様の墓参りの帰りに、岩手県にある野村胡堂・あらえびす記念館にいってきました。
    盛岡市の南、自動車でおよそ40分、紫波町にあります。自動車でないといけませんね。



    こんな大きな看板があり、そこから丘を登っていったところにあります。



    これが記念館の建物です。予想以上に立派で驚きました。



    入り口手前にあるのが、この寛永通宝のオブジェ。真ん中の手形は、テレビドラマで銭形平次を演じた北大路欣也でした。

    さらにその先にあったのが、



    野村胡堂の胸像です。うしろに寛永通宝もありますね。この右が入り口です。

    展示ルームは撮影ができませんが、建物内でもその外では、



    これも北大路欣也がドラマ撮影で着用した衣装だそうです。
    またパネルの中でも、



    乱歩の言葉もありました。

    撮影はできませんでしたが、展示室の内容は一部屋だったにもかかわらず充実していました。野村胡堂の直筆原稿、手紙などが豊富に展示してありました。また団体客向けの説明で、SPレコードの演奏もしていましたが、いいプレーヤーで天井の高い部屋というわけで、とてもいい音でしたね。

    売店ではいろいろなものが販売されていましたが、今回購入したのは、


    「野村胡堂旧蔵図書・雑誌目録」


    「野村胡堂・あらえびす関係記事目録と件名索引」


    「野村胡堂記念館カタログ」


    「『銭形平次捕物控』を読み解く」外崎菊敏

    他にもいろいろ、よそでは手に入らないのではないかと思われる本がありましたが、今回はここまでです。
    はるばる訪れてよかったです。
  • 「没後50年 松野一夫展」に行ってきました(下)

    私が松野一夫の絵に興味を持ったのは、『聞書抄』(博文館新社、1993年)で、ご子息の松野安男さんのインタビューにうかがってからです。これは19913月におこなったもので、もう32年以上も前のことになります。その後、1998101日から1225日まで弥生美術館で開催された「『新青年』の挿絵画家 松野一夫展 昭和モダン・ボーイズ グラフィティ」を見て、改めて松野一夫の画業における多様な試みに驚かされました。また、そこでも、『新青年』のすべての表紙が、縮小コピーでしたが、飾られていたのを覚えています。

     

    今回、松野一夫の出身地である小倉で開催された「松野一夫展」ですが、故郷に錦を飾るではないですけれど、たくさんの絵画展示があり、松野一夫の画業のほとんどが見られました。すごいです。彼のスタイル、モチーフの変遷を示していると同時に、絵に対する好奇心の発露も現れているようにも感じられました。たとえば、松野一夫が描いた江戸川乱歩の肖像画には、二種類あることで知られています。同じ構図なんですが、でも表情が違うのですね。一つは柔和な表情の絵柄で『別冊宝石』195411月号の表紙を飾ったもの、もう一つは乱歩邸の応接間に飾られている威厳ある表情の正統的な肖像画です。

    これらは松野一夫が一般大衆に見せる目的と乱歩個人への贈呈用とで描き分けたと言われています。これに関して、栗田卓さんが「江戸川乱歩と松野一夫~二つの肖像画~」(『立教大学江戸川乱歩記念大衆文化センター センター通信』第2号、20087月)の中で考察されており、ご存じの方も多いと思いますが、実際にこの松野一夫展で見てみますと、松野一夫のタッチの違いといいましょうか、対象への好奇心も溢れているようにも感じられました。面白いですね。こういう比較が直接できるところが展覧会の醍醐味だと思います。本当に素晴らしい展覧会でした。

    翌日は、美術館近くの松本清張記念館へ行きました。ちょうど「清張 福岡紀行」という特別企画展を開催していまして、福岡を舞台とした松本清張の作品を解説、展示していました。なかでも、木俣正剛さんの「或る『削除の復元』伝」の寄稿は読み応えがあり、作品当時の様子が伝わってきて、松本清張の取材の様子がよくわかりました。

    松本清張記念館は、初めて訪れたのですが、とても良いところですね。松本清張の自宅一部(仕事場や書庫、応接間など)を実物大にした展示は圧巻でした。これは展示の仕方としてたいへん面白いです。また、機会があったら、訪れたいです(終)。

  • 「没後50年 松野一夫展」に行ってきました(上)

    916日~1112日まで、北九州市立美術館分館でおこなわれた「没後50年 松野一夫展」に行ってきました。開催場所が北九州市の小倉だったので、私(湯浅)の住んでいる群馬県からは遠かった。しかし、なんだか、どうしても行きたくなり、足を運ぶことにしたのです。

     

    小倉駅からは、そう遠くないところにリバーウオーク北九州という立派なビルがあり、その5階が北九州市立美術館分館になっています。たいそう大きなビルでして、それぞれの階で、アミューズメント施設や飲食店があり、充実していました。ビルの南側には、小倉城があり、観光客もたくさん訪れていました。秋晴れだったので、天守閣も映えて、またお堀も秋らしい風情を見せていました。良かったです。

     

    さて、松野一夫展ですが、これは素晴らしい展示になっていました。松野一夫の絵の魅力をあますところなく伝えているのです。以下に、会場で6章で構成された展示テーマを記します。

    1. 上京、デビューまで
    2. 挿絵画家としての活躍
    3. 憧れのパリへ
    4. 帰国後の仕事
    5. 戦後、探偵小説と子どものための本
    6. 新たな画境へ

    それぞれのテーマにそった展示になっていまして、これらの流れで、松野一夫の仕事をすべて網羅していると思われます。さらに、これらの展示の最後に、まとめとして、『新青年』の全表紙が発行順にすべて飾られていました。これは迫力がありましたよ。

    ところで、少し驚いたことがありました。第2章の展示説明の文のところで、『新青年』研究会の末永昭二さんや私の名前を見つけたことです。末永さんは、松野一夫の画中のサインについて、同じく私の方は森下雨村と松野一夫がシャグランブリッジというトランプゲームでよく遊んだことについての説明で、各自の言葉が引用されていました。『新青年』研究の成果が見られて、長くやってきて良かったと、思わず感慨深くなってしまいました。また図録も大変立派で、展示された絵が色鮮やかに掲載されていました。まるで松野一夫の魅力が詰まった宝石箱のようです(続く)。