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「ミス・ピンカートン」(メアリー・ロバーツ・ラインハート)は、おかげさまで売り切れになっております。
案外この表紙が好評でして、これも続編の「ローランド屋敷の秘密」(同)も、
原作からとったイラストではなく、まったく関係のないイラストを拾ってきたということをTwitterでご紹介したら、あちらこちらから落胆の声が聞こえたのは、予想外でした。
実際、前者はネットから拾ってきたイラストでして、もとはこんなものでした。
その他にも看護婦さんのフリーのイラストを必死で探しまして、候補としては次のような者がありました。
最初の電話をかけているのは、いかにも緊迫感があってミステリらしいですが、赤十字がデザイン上ちょっと邪魔でした。二つ目の元気に歩いているのも魅力的ですが、何の屈託もなさすぎです。三番目のは、なんだか寂しそうだし元気がありません。
結局、現行のベッドに手をついてびっくり仰天しているイラストを選択したのでした。
ちなみにこの本の初版本のダストジャケットは、
です。なんだか暢気ですね。
ペーパーバック版のジャケットは
です。あまり可愛くないなあ。PR -
先日紹介(6月24日付)をした森下雨村訳「謎の無線電信」(『中学世界』大正10(1921)年4月号か~11月号)の挿絵は、松野一夫が担当していました。これは博文館発行の『新青年』における編集長の雨村と、表紙や挿絵などを手がける松野一夫と同じ黄金コンビです。セクストン・ブレイクの物語の特徴の一つに、登場人物のダイナミックな動きで読者を惹きつけることがあります。松野一夫の挿絵は、それを見開きページを使ってうまく表現しています。読者の視線は、読みながら右ページから左ページへと導かれ、物語が躍動し始めます。二つの場面を見てみましょう。一つめ(『中学世界』大正10年7月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』P45~52より)は、カリビアン海の地図を持っているブラウン警部が道で暴漢に襲われ、地図を奪われるシーンになります。左ページ上に襲われている場面が描かれていて、それを右ページ下からセクストン・ブレイクが助けるために追いかけて行く構図になっています。読者の視線は、見開きページを右下から左上へと斜めに横断し、あたかもブレイクといっしょに走っているような錯覚さえも覚えます。
二つめ(『中学世界』大正10年8月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』P60~62より)のシーンは、ホテルの一室で敵方の紳士がピストルで射殺されてしまい、そこで現場検証をしている場面になります。ブレイク、チンカーとブラウン警部らがいます。右下には、ブレイク探偵がむこうの壁にある弾痕を指さす場面が描かれています。読者は彼の指先に導かれるように、左上に視線を移し、壁を見ます。近くにおかれている調度も目に入りますね。このように読者は挿絵といっしょに物語空間を見ていく構図になっています。最後にもう一つ。今度は、視線が今までとは逆の方向、つまり右側に広がっていく場面をお目にかけます。ブレイクの友人、グラントを助けに、ブレイク、チンカーらは快速汽船ナンシイ号でカリビアン海に赴くシーン『中学世界』大正10年9月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』のP72~73より)で、現場近くの海を見ているところです。ずっとむこうの海面に、不思議な航路をとっている汽船が見えました。左上には、双眼鏡で汽船をみている船長とその左にブレイク探偵がいます。読者は、船長とブレイクの言葉に導かれて、視線を右のほうに向けます。そうすると、二本の煙突のある、不思議な動きをする汽船が見えてきます。読者は、海の広がりを感じられると同時に、おかしな動きをする汽船を見つけられるという驚きを追体験することができました。しかし、厳密に言えば、読者の目線としては、最初におかしな動きをする汽船が目に入ってきて、それから船上で汽船を見ている船長とブレイク探偵の姿を見ることになります。読者は「あの汽船は、どうしたんだろう」と思いつつ、読み進めていくと、小説の文字内容と協力しながら挿絵の場面が再構成されるというイメージ生成になっています。
このように挿絵を担当した松野一夫は、見開きページを目一杯使って、読者に物語の楽しさを伝えようとしていたことがわかります。もちろん、こうした構図は、『中学世界』の編集者によっても考えられていたことでしょう。作家、画家、編集者の共同作業によって、物語の面白さは読者に伝えられていくのです。【付記】森下雨村・訳『謎の無線電信』ヒラヤマ探偵文庫21の「解説」において、挿絵画家を不明としてしまいましたが、後日再検討した結果、松野一夫であることが判明しました。ここに記して、訂正いたします(湯浅篤志)。 -
大正から昭和戦前にかけて、たくさんの大衆文学作品を書いていた流行作家に三上於菟吉がいます。彼の書く物語は、イケメンで格好良く、仕事もできる主人公が、ニヒルな性格でありながら、美女たちを籠絡する話が多いです。ハードボイルドなんですね。代表作としては、「白鬼」(大正13年)が挙げられます。当時のなよなよした私小説や虐げられた人たちのプロレタリア文学とは異なって、スカッとする話が多かったようです。孤独な男が自分のすべてをかけて、成り上がっていくピカレスク・ロマンでした。主人公だけでなく、他の登場人物も魅力的で、物語全体に彩りをそえていました。そのような作品の一つに、ヒラヤマ探偵文庫で取り上げた『血闘』(ヒラヤマ探偵文庫24)があります。これは、三上於菟吉には珍しい探偵小説です。作品内容については、ヒラヤマ探偵文庫JAPANを参照していただくとして、ここでは主人公の大川芳一を助けて活躍する、アメリカ浪人の細沼冬夫を取り上げてみたいと思います。細沼は、アメリカから帰国の途についている大川芳一に、大型客船大洋丸の中で出会います。細沼が、客船の中で偶然聞いた芳一を亡き者にしようとする企みを知って、芳一を助けようとするんですね。もちろん、これはお金が目当てです。しかし、それだけではなく、だんだんと自らの義侠心により芳一を守ろうとする意志になっていきます。たとえば、細沼は自らが探偵になって変装して捜査をしたり、また芳一を保護するために頭を使ったり格闘をしたりもしています。頼れる奴なんです。下の挿絵(竹内霜紅画、『雄弁』大正14年3月号より)は、大川芳一の船室に忍び込んできた殺し屋を組み伏せる細沼冬夫です。右に立っているのが、大川芳一。このように三上於菟吉の小説は、主人公だけでなく、他の登場人物も魅力的に描かれています。ここに取り上げた『血闘』は、探偵小説とされていますが、その風味は薄く、どちらかといえば、アクションものであり、スリルとサスペンスを楽しむ作品であるといえるでしょう。大正時代の通俗作家が描く、いわゆる「探偵小説」をどうぞ、ご賞味ください。
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馬場孤蝶は、明治26(1893)年に発行された文芸雑誌『文學界』の同人として文学史などにはよく出てきます。とくに、樋口一葉との付き合い、斎藤緑雨との交流などが取り上げられています。ですが、探偵小説の作者、翻訳者であったことはあまり知られていません。探偵小説に興味を本格的に持ったのは、大正時代に入ってからだったようで、孤蝶の大学での教え子、当時『新青年』の編集長だった森下雨村がその面白さを教えてくれたからでした。つまり、博文館の『新青年』が創刊された大正9(1920)年以降なんです。そのような馬場孤蝶が創作した探偵小説が、『悪の華』(ヒラヤマ探偵文庫13)には、三篇掲載されています。「髑髏の正体」「悪の華」「荊棘の路」でして、初めての単行本化になります。関東大震災後の大正13(1924)~15(1926)年の『婦人倶楽部』に連載されたものです。いずれも、読者に対して総額1,000円の犯人当て大懸賞が付いていました。その当時の1,000円の価値は、どうだったのでしょうか。インターネットで「大正13年 お金の価値」で検索すると、「大正13年に1円で取引されていたものは、現在の価値にすると、約493倍で、493円になる」と書いてありました。これを信じると、総額1,000円の懸賞は、現在のお金に直すと、約49万3千円くらいになりますね。しかし、総額です。細かい懸賞金配分額を見ると、200円を1名、20円を5名、10円を10名、5円を20名にそれぞれ現金でプレゼントしたようです。以下は、1円(図書切符)が100名、50銭(図書切符)が200名、20銭(図書切符)が1000名になっていました。図書切符とは、今の図書券のことでしょうか。仮に200円が当たったとすれば、現在では約493倍になるのですから、現金でもらえば約98,600円。大まかに言えば、約10万円。これはそそられますね。一番最後の20銭の図書切符は、今の金額では約493倍になるわけですから9,860銭で、換算すると約99円になります。100円とみなしていいかも。100円の図書券だったら、現在の割引クーポンくらいの額ですから悪くないです。1000名という大勢に当たるのですから、このくらいの金額になったのでしょう。『婦人倶楽部』の編集部が仕掛けた馬場孤蝶の「悪の華」の犯人当てクイズは、現在の皆さんには、いかがでしょうか。チャレンジしてみたくなった方は、急いで、ヒラヤマ探偵文庫JAPANへ、どうぞお越し下さい。『悪の華』が待ってます。最後に、『婦人倶楽部』に掲載された「悪の華」の冒頭を掲げておきます。 -
セクストン・ブレイク・コレクションの第二弾は、森下雨村訳の『謎の無線電信』(ヒラヤマ探偵文庫21)になります。森下雨村は、大正9(1920)年から始まった探偵小説雑誌『新青年』の初代編集長でした。また雨村は、雑誌編集者だけでなく、海外探偵小説の翻訳家、少年少女探偵小説の作家でもありました。「謎の無線電信」は、博文館の発行する『中学世界』の大正10(1921)年4月号から11月号まで掲載されます。原作名は、「The Case of the Strange Wireless Message」(The Sexton Blake Library 1st No.125, May 1920)であり、原作者は、ウィリアム・ウォルター・セイヤー(William Walter Sayer 1892-1982)です。原作が発行されたのが大正9(1920)年5月ですから、出版されてから一年も経たないうちに、雨村は原作本を手に入れて訳しました。
この物語は、セクストン・ブレイク探偵が、カリビアン海にいると思われる秘密探偵ジェムス・グラニット・グラントを救助するために、助手のチンカー、愛犬ペドロともに、小型快速船ナンシイ号で出向く話です。ここで、題名に使われている「無線電信」が意味を持ってきます。
1912(明治45)年4月に起きた豪華客船タイタニック号の沈没を経て、海上での無線電信はその役割が増してきました。国際的には船舶相互の交信や遭難緊急通信の常時聴取などが義務づけられたのです。日本でも、1915(大正4)年に無線電信法が公布され、船舶無線局も官営から私営になりました。無線通信士の資格が、より重要になってきました。
たぶん森下雨村がこの作品を『中学世界』という雑誌に翻訳したのは、そういった世の中の風潮を、若い読者に向けて知らせたかったからでしょう。とくに無線電信という、日本にいながら世界の情報を得ることのできる便利なツールを使える、大正時代の新しい青年になって欲しかったのかもしれません。――言いすぎかな?
原作本の表紙では、物語の発端になるその無線電信のリレーを上手に表現していると思います。こういう画を見ると、無線電信の重要さをすぐに理解できますね。
本文の最初では、無線電信の役割を枠で囲って、編集者が説明しているのがわかります。
このように無線電信という科学技術を使って、当時の中学生をワクワクさせる物語を雨村は選んで翻訳していたと思われます。雨村は「謎の無線電信」を訳した後、同じく『中学世界』大正13(1924)年1月号から12月号まで、J・S・フレッチャーの「ダイヤモンド」という作品を翻訳しました。これも同じように、ハラハラドキドキする内容になっています。もし、興味をお持ちになったら、J・S・フレッチャー、森下雨村訳『楽園事件』(論叢海外ミステリ230、論創社、2019年)に収録されていますので、ご覧になってください。『中学世界』連載の初出が掲載されていますので、当時の雨村翻訳の雰囲気を味わえます。
なお、ヒラヤマ探偵文庫の『謎の無線電信』なんですが、現在、版元品切れです。お読みになりたい方は、このHPにある「書店の皆様へ」のページに掲載されている「現在お取引いただいている各書店様」へお問い合わせくださるとうれしいです。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。