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森下雨村訳『謎の無線電信』の挿絵
先日紹介(6月24日付)をした森下雨村訳「謎の無線電信」(『中学世界』大正10(1921)年4月号か~11月号)の挿絵は、松野一夫が担当していました。これは博文館発行の『新青年』における編集長の雨村と、表紙や挿絵などを手がける松野一夫と同じ黄金コンビです。
セクストン・ブレイクの物語の特徴の一つに、登場人物のダイナミックな動きで読者を惹きつけることがあります。松野一夫の挿絵は、それを見開きページを使ってうまく表現しています。読者の視線は、読みながら右ページから左ページへと導かれ、物語が躍動し始めます。
二つの場面を見てみましょう。一つめ(『中学世界』大正10年7月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』P45~52より)は、カリビアン海の地図を持っているブラウン警部が道で暴漢に襲われ、地図を奪われるシーンになります。左ページ上に襲われている場面が描かれていて、それを右ページ下からセクストン・ブレイクが助けるために追いかけて行く構図になっています。読者の視線は、見開きページを右下から左上へと斜めに横断し、あたかもブレイクといっしょに走っているような錯覚さえも覚えます。

二つめ(『中学世界』大正10年8月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』P60~62より)のシーンは、ホテルの一室で敵方の紳士がピストルで射殺されてしまい、そこで現場検証をしている場面になります。ブレイク、チンカーとブラウン警部らがいます。右下には、ブレイク探偵がむこうの壁にある弾痕を指さす場面が描かれています。読者は彼の指先に導かれるように、左上に視線を移し、壁を見ます。近くにおかれている調度も目に入りますね。このように読者は挿絵といっしょに物語空間を見ていく構図になっています。

最後にもう一つ。今度は、視線が今までとは逆の方向、つまり右側に広がっていく場面をお目にかけます。ブレイクの友人、グラントを助けに、ブレイク、チンカーらは快速汽船ナンシイ号でカリビアン海に赴くシーン『中学世界』大正10年9月号掲載・ヒラヤマ探偵文庫21『謎の無線電信』のP72~73より)で、現場近くの海を見ているところです。ずっとむこうの海面に、不思議な航路をとっている汽船が見えました。左上には、双眼鏡で汽船をみている船長とその左にブレイク探偵がいます。読者は、船長とブレイクの言葉に導かれて、視線を右のほうに向けます。そうすると、二本の煙突のある、不思議な動きをする汽船が見えてきます。読者は、海の広がりを感じられると同時に、おかしな動きをする汽船を見つけられるという驚きを追体験することができました。
しかし、厳密に言えば、読者の目線としては、最初におかしな動きをする汽船が目に入ってきて、それから船上で汽船を見ている船長とブレイク探偵の姿を見ることになります。読者は「あの汽船は、どうしたんだろう」と思いつつ、読み進めていくと、小説の文字内容と協力しながら挿絵の場面が再構成されるというイメージ生成になっています。

このように挿絵を担当した松野一夫は、見開きページを目一杯使って、読者に物語の楽しさを伝えようとしていたことがわかります。もちろん、こうした構図は、『中学世界』の編集者によっても考えられていたことでしょう。作家、画家、編集者の共同作業によって、物語の面白さは読者に伝えられていくのです。
【付記】
森下雨村・訳『謎の無線電信』ヒラヤマ探偵文庫21の「解説」において、挿絵画家を不明としてしまいましたが、後日再検討した結果、松野一夫であることが判明しました。ここに記して、訂正いたします(湯浅篤志)。
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