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10月8日(日)に開催された「めざめる探偵たち」展のイベント、記念講演会「日本の探偵小説は、高知から生まれた」でお話をしてまいりました。
明治20年代以降、黒岩涙香が書き始めた探偵小説(翻案)は、長い間低級な小説として扱われてきました。しかし、森下雨村はそういう探偵小説を見直し、海外のきちんとした面白い探偵小説を自らが編集した『新青年』に翻訳して掲載することにしました。その結果、大正10年以降の探偵小説のブームを支えることになりました。
大正11年の秋には、馬場孤蝶の講演を聞いた江戸川乱歩が「二銭銅貨」を雨村に送りました。それを読んだ雨村が大絶賛し、『新青年』大正12年4月増大号に掲載されたのは、日本の創作探偵小説史に興味のある方ならご存じのことだと思います。そういった出来事が大きな力となり、大正14年頃には探偵小説はブームとなって、出版界を賑わせました。その土台を支えたのが、雑誌『新青年』であり、雨村や馬場孤蝶の探偵小説の紹介だったのです。
黒岩涙香、馬場孤蝶そして森下雨村――彼らは皆、高知の出身でした。これら高知出身の三人の作家達の力により、日本の探偵小説の夜が明けたのでした。
というような内容のことを下敷きにしまして、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村が探偵小説に果たした役割について、具体的なことをお話してきたのでありました。
上の写真は、配布されたレジュメです。6ページあります。講演前に控え室でチェックをしていました。(続く)。
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予告していた翻訳長編小説の連載を、今週から開始します。
アナーキストの車輪
マックス・ペンバートン
平山雄一・訳
第一章 ブルース・インガソルが語り始める
この十二ヶ月間に私の身に降りかかった奇妙な事件について、包み隠さず書けと言われた。これは司法当局からの要求なので、拒否するわけにもいかない。友人であるジェハン・カヴァナーと彼を裁いた裁判所のために、義務を果たすとしよう。この完成を願っている人々の期待にそえるといいのだが。もっと以前からのことを書いてくれという意見には、耳を貸さない。この驚くべき事件の謎を解きほぐすには玄人の腕が必要であり、すべての出来事を順序よく原稿の上に並べていくなどということは、僕の任ではない。一般大衆が気に入るように、どこから初めてどこで終わればいいのかなど、さっぱりわからない。僕自身としては、昨年六月に開催されたケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに所属するフェローのガーデンパーティ以前のことは、まったくなにも知らないのだ。そしてガーデンパーティそのものだって、美しい女性からくだらない迷信を聞かされた場所だということでしかない。僕の従姉妹のウナと伯母のレディ・エルグッドは、この的外れな名前の五月週間のために、やってきた。僕は二人のためにジーザス・レーンに宿を見つけておいた。詳しいことはもう忘れてしまったが、十日ほどはとても楽しかったと思う。しかしこれがケンブリッジ大学での最後の学期だった。この後は海の物とも山の物とも知れぬ将来が待っていた。僕は今後の身の振り方について、何の計画もなかった。父が亡くなって以来、夢も希望もなかった。小さい頃から一緒に遊び回っていたウナさえも、僕を退屈だと言う始末だった。「そんな仏頂面をしていたら、私に将来のご主人様を見つけてくれないじゃないの、ブルース」彼女は文句を言った。僕は、現代の夫は重々しさを求めるのだと言い返した。「それに結婚は笑い事じゃないんだぞ――そのうちいい男が見つかるさ」と私は付け加えた。これは彼女によると、皮肉っぽいユーモアというらしい。先ほど触れたフェローのガーデンパーティで、こういう会話を交わしていた。僕はジーザス・カレッジの学生で、指導教員の一人が今回のパーティに招いてくれたのだ。彼の部屋で愉快な昼食を済ませた後に、パーティに参加をした。しかし彼はウナのご機嫌を損ねてしまったらしい。せっかくのチャンスだったのに、頬髭と、楽しい会話の途中でいきなり「え、なんだって?」と何度も言う癖がいけなかったようだ。僕たちがトリニティ・ガーデンズに到着すると、テントの入り口あたりでまんまと彼をまいてしまった。この中では素人の女性手相見が、チャリティー目的で占いをしていた。もっとも伯母の意見では、単にフェローの手を握りたいだけだということだが。僕はウナにせっかくだから占ってもらえとけしかけた。「中に入って三ペンス払えよ。ここにぐずぐずしているわけにもいかないんだから。未来の旦那様を占ってもらうといい――鬼が出るか蛇が出るか、わからないがね。手相見に君の名前を言うんじゃないぞ。そんなことをしたら追い出されるかもしれないからな。もちろん、当たるさ。当たらなかったら、生きているかいがないじゃないか。中に入ってインドのマハラジャを掴まえなよ――三ペンスだったら安いものじゃないか、ウナ」彼女はそれを聞いて大笑いした。お人好しで陽気なウナは、いつも僕が言っている通りあまり頭はよくないが、決して切り札は手放さない女の子なのだ。僕たちが言い争っていると、男がテントから出てきた。彼は学部長だった――僕の学部ではなかったが――そしてすぐに彼女に僕と同じく占いを勧めた。「大いに気に入ったよ」と、学部長は言った。「「彼女は私が学生時代にかかった病気を見事言い当てたし、結婚しているということも見破った。手の形が変わっているので、秘密がばれてしまうに違いない。この分野の入門書を読んでみるつもりだ――それにかなりの美人だしね」彼は付け加えると、笑顔のまま急ぎ足で立ち去った。この宣伝はウナには十分すぎるほどだった。彼女は財布をさっとひったくると、あっという間にテントの中に飛び込んでいった。再び外に出てきたときには、興奮した様子で頬を真っ赤にし、青い瞳はまるで大きなトルコ石のように見開いていた。栗色の髪の毛は逆立っていた。明らかに激怒している様子だ。「どうだった?」僕は質問した。「とんでもないドラネコよ」彼女は吐き捨てた。「私はオールドミスのまま死ぬんですって」「三ペンスを支払い忘れたんじゃないのか、ウナ?」「そんなことないわ。でも出てくるときに、取り上げてやったわ。あんなのにお金が払えるわけがないでしょ!」「おいおい」僕は言った。「そういうものは反対になるのが定番てものだ。たった三ペンスで何を期待していたんだい、ウナ? 今日は未来の夫の大漁日じゃないか。そんなものに耳を貸すなよ」彼女の怒りは収まらなかったが、ちょうどそのときメアリー伯母が現れた。二人とも、僕も緑色のフェルトのテーブルで待ち構えているピューティアー【訳註:ギリシャ神話に登場する女神官・預言者】のご託宣を聞くべきだと言い張った。さきほど占ってもらった学部長と同じくらいよく当たるかどうか確かめてもらえというのだ。「まあ、絞首刑になる運命の男は、溺れ死にはしないだろうな」と僕は言ってへらへらしながら、テントの中に入って問題の女占い師に会った。彼女は本当に美人の子だった。そしてテント内を照らす薄暗く荘厳そうな明かりのおかげで、彼女の頬に塗りすぎた紅も気にならなかった。首には金の鎖をかけていたので、いつも蛇をくびにかけているのではないかと、想像させた。一方でかわいい手にはかなり大きなダイヤモンドの指輪がぎらぎらと光っていた。真っ白なドレスを身につけている。そして肩まで腕をむき出しにしていた。彼女はもっともらしい表情で僕を迎え入れた。そして即座にお茶目な瞳でじっとこちらを見つめた。「今まで手相を見てもらったことはありますか?」彼女は質問した。僕は占いは今まで一度もやったことがないと答えた。「では手相学を信じないのですね?」「全く全然」やりとりは友好的に始まり、その雰囲気はずっとそのまま続いた。彼女の顧客は――おそらく男性だろう――彼女のかわいい両手で自分の手をさすったり押したりされてご満悦なのだろうと、思った。散々彼女に手をいじられた末に、長い間顔をじっと見つめられた。彼女は僕に子供の頃病気をしたかどうか、質問をした。「はしかです」僕は言った。「ほかにもいろいろ」「まあ! かなり重い病気にかかったこととか、その後外国に行ったことはありましたか?」「覚えている限りでは、おたふく風邪にかかったあとに、ブローニュに行きました」これには彼女は悩んでいるらしい。かなり真剣に考え込んでいる様子だった。やがて彼女はこう言った。「最近大切な方を亡くされましたね――お父さんかお母さんを?」「その通りです。父が八ヶ月前に亡くなりました」「お亡くなりになったせいで、あなた自身に大きな変化がありましたね?」「そうなのか、そうでないのか、あなただったらわかるはずでしょう」「あなたには芸術家の気質があります。小説を書いたり絵を描いたりしていませんか?」「小さい頃に玄関の手すりにペンキを塗ったことがくらいしか心当たりはありません。物書きのほうは当たっていると言えなくはないですが、もしかしたら僕の名前を隔週雑誌で見たことがあるんじゃないですか?」彼女は厚化粧の下で赤面をした――かなり紅をぬりたくっていたのは、学部長も証人になってくれるだろう。僕の反論に彼女は戸惑った様子だった。彼女はまだ頑張ろうとしたので、頑固と頑固のぶつかり合いになった。「あなたは見知らぬ人と出会います」彼女はやがて大きな声で言った。「彼があなたに幸せをもたらすか、それとも不幸をもたらすかは、私にはわかりません。あなたは結婚をするでしょう――たくさんのトラブルと頭と心の葛藤の末に。いい一生を送りますが、恋愛能にたけているとはいえません。あなたの人生に介入してくる男に注意なさい。私が言えるのはそれだけです、インガソルさん」彼女はもう一度僕をじろりと見た。手相から知った以上のことをよく知っている人間の視線だった。そして僕はテントを出た。明日、ジェハン・カヴァナー氏と会う予定だったことを、思い出した。(続く) -
今週の土曜日、10月7日から高知県立文学館で「めざめる探偵たち」という企画展が始まります。来年(2024年)1月8日までやっています。
そのなかで、次の日曜日、10月8日に記念講演会「日本の探偵小説は、高知から生まれた――涙香、孤蝶、そして雨村の果たした役割――」を、私がやらせていただくことになりました。日時、場所などは以下の通り。
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日時:10月8日(日) 午後2時~4時
場所:高知県立文学館1Fホール
※当日観覧券が必要(高校生以下無料)
事前に電話または当館受付にてお申し込みが必要
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また、これに先立ち、高知県立文学館の館報「藤並の森」No.102に、リレー随筆「涙香、孤蝶、雨村が〈探偵〉を生んだのだ」を書かせていただきました。よろしかったら、ご覧下さい。
さて、当日の講演では、黒岩涙香、馬場孤蝶、森下雨村が日本の探偵小説の発展に果たした役割をお話していきたいと思っています。
企画展の展示もたいへん素晴らしいものです。涙香、孤蝶、雨村の業績がわかりやすく展示されています。ミステリーかんたん年表などもあります。また、文豪ストレイドッグスの能力者たちがあちこちに。あれ?
文豪ストレイドッグスとのコラボなので、幅広い年代の方々にも楽しめると思います。ぜひ見に来ていただきたいと思います。私も監修で協力させていただきました。
講演会を皮切りに、その他のイベントも盛り沢山。映画上映会では、江戸川乱歩「黒蜥蜴」(10月22日)、横溝正史「八つ墓村」(10月29日)など。クイズイベントやプレゼントなどもあります。ファイナルイベントとして、来年1月7日には、文豪ストレイドッグスの制作者のみなさんのトーク・ステージがあります。詳しくは、高知県立文学館のHPをご覧下さい。
なお、文学館では、ヒラヤマ探偵文庫の馬場孤蝶『悪の華』、森下雨村訳『謎の無線電信』、馬場孤蝶訳『林檎の種』、森下雨村『二重の影』も販売してくださいます。本当にありがたいことです。
この企画展をきっかけに、高知県が生んだ涙香、孤蝶、雨村の業績がもっともっと広まることを願っています。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
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ヒラヤマ探偵文庫の愛読者の皆様のために、未公開長編小説をブログで無料公開しようと思います。
一つ一つの章が比較的短いので、一回に一章連載でいけるのではないでしょうか。
著者のマックス・ペンバートン(1863~1950)は、イギリスの冒険小説や探偵小説の作家であり、キャッセルズ・マガジンの編集者でした。彼はアーサー・コナン・ドイルやバートラム・フレッチャー・ロビンソン(1870~1907)の友人でした。ご存じのように、ロビンソンの協力で、コナン・ドイルは「バスカヴィル家の犬」を書きました。
この本は、ロビンソンが死の床でペンバートンに託したメモをもとにして書いたものです。それについては、ペンバートンの前書きをご覧下さい。
アナーキストの車輪
暗殺者の物語新聞記事再録とブルース・インガソル氏の口述筆記によるマックス・ペンバートン著者よりこの小説は故B・フレッチャー・ロビンソンの助言による。彼は親しい友人であり、その死を大いに悼んでいる。このテーマは彼本人が数年前から興味を抱いていた。そしてなくなる直前に受け取った手紙の中に、私がこのアイデアを必ず本にすると約束してくれと書いてあったのである。それをようやく実現したのが本書である。彼が残したノートに少々私の考えも付け加えたが、書き上げられたのはかけがえのない友情への感謝のおかげである。マックス・ペンバートン -
長田幹彦『蒼き死の腕環』(ヒラヤマ探偵文庫10)の初出は、『婦人世界』大正13年1月号から12月号まででした。この連載に関して、『婦人世界』編集部は、沈みがちな気持ちを光明方面に一転できるような期待をこめていたようです。
そのためか、関東大震災の悲惨な描写は影を潜めていて、地震の被害の様子を描いた場面は少なくなっています。神奈川県の横浜が舞台の小説ですが、主なものをあげてみましょう。
P9「李爺」の冒頭
・フェアモント・ホテルは小港町からもう本牧は出ようという坂道の左側にあって、僅か室数にして二十ばかりしかない小さなホテルであったが、あの大震災の後は、市中の名だたるホテルが皆焼失してしまったので、この頃でもかなり泊り客で混雑していた。もとは酒場ばかりが栄えていた怪しいホテルの一つであったので、今でも出入りしている客たちの中にはずいぶんいかがわしいのもいた。
P12「李爺」
・女はそこから二つ目の横丁まで来ると、ふっと立ち止まって今来た方を振り顧ったあとで、おずおず角から四、五軒めの煉瓦壁と煉瓦壁の間へ入っていった。それこそ鼻をつままれても分からないような暗闇なので、女は足探りになるべく音をたてないようにそっと入っていったが、とある大きな建物の前までくると、そこで歩みを止めて、思わず深い息を入れた。
そこは震災以前までは五階建ての堂々たる商館らしかったが、今ではもう焼け煉瓦が小山のように堆く盛り上がっているばかりで、昔の姿を偲ぶべくもなかった。
P49「毒牙」
・そうしているうちに、ふっとギブソン氏の声が、
「お、こりゃ光の工合が馬鹿に悪くなって来たな。おい、電気技師。カーボンを入れかえてくれ」と、英語で叫ぶ。
と、どこか遠くの方で、
「カーボンを取り換えても駄目ですよ。今、電力が急に弱くなったんですから」と、いう声が聞こえたが、それと同時に、今度はまたギブソン氏の声が、
「お、とうとう消えちまったなあ。これだから地震の後の東京は駄目だというんだ」と、口笛を鳴らして、「おい、監督。それでは三十分間休憩としよう。皆彼方へ行ってコーヒーでも飲んでいてくれ」と、いう。
そこいらでは、どたばた人の足音が乱れた。
というふうに、あまり大きな被害に触れられていません。触れていても、さらっとです。やはり、読者のことを考えてのことだったと思います。
同じ関東大震災のことを、背景にして描いた三上於菟吉『血闘』(ヒラヤマ探偵文庫24)では、冒頭から関東大震災の惨劇が描かれているのですから、大きな違いです。こちらは、『雄弁』大正13年11月号から大正14年9月号までの連載でした。震災から約一年経っているから、ということもあるかもしれません。震災を物語化できるような余裕が生まれていたのかもしれませんね。
同じ地震を舞台にした探偵小説でも、作者が異なると、このくらいの違いがあるということがわかります。