-
私が松野一夫の絵に興味を持ったのは、『聞書抄』(博文館新社、1993年)で、ご子息の松野安男さんのインタビューにうかがってからです。これは1991年3月におこなったもので、もう32年以上も前のことになります。その後、1998年10月1日から12月25日まで弥生美術館で開催された「『新青年』の挿絵画家 松野一夫展 昭和モダン・ボーイズ グラフィティ」を見て、改めて松野一夫の画業における多様な試みに驚かされました。また、そこでも、『新青年』のすべての表紙が、縮小コピーでしたが、飾られていたのを覚えています。
今回、松野一夫の出身地である小倉で開催された「松野一夫展」ですが、故郷に錦を飾るではないですけれど、たくさんの絵画展示があり、松野一夫の画業のほとんどが見られました。すごいです。彼のスタイル、モチーフの変遷を示していると同時に、絵に対する好奇心の発露も現れているようにも感じられました。たとえば、松野一夫が描いた江戸川乱歩の肖像画には、二種類あることで知られています。同じ構図なんですが、でも表情が違うのですね。一つは柔和な表情の絵柄で『別冊宝石』1954年11月号の表紙を飾ったもの、もう一つは乱歩邸の応接間に飾られている威厳ある表情の正統的な肖像画です。
これらは松野一夫が一般大衆に見せる目的と乱歩個人への贈呈用とで描き分けたと言われています。これに関して、栗田卓さんが「江戸川乱歩と松野一夫~二つの肖像画~」(『立教大学江戸川乱歩記念大衆文化センター センター通信』第2号、2008年7月)の中で考察されており、ご存じの方も多いと思いますが、実際にこの松野一夫展で見てみますと、松野一夫のタッチの違いといいましょうか、対象への好奇心も溢れているようにも感じられました。面白いですね。こういう比較が直接できるところが展覧会の醍醐味だと思います。本当に素晴らしい展覧会でした。
翌日は、美術館近くの松本清張記念館へ行きました。ちょうど「清張 福岡紀行」という特別企画展を開催していまして、福岡を舞台とした松本清張の作品を解説、展示していました。なかでも、木俣正剛さんの「或る『削除の復元』伝」の寄稿は読み応えがあり、作品当時の様子が伝わってきて、松本清張の取材の様子がよくわかりました。
松本清張記念館は、初めて訪れたのですが、とても良いところですね。松本清張の自宅一部(仕事場や書庫、応接間など)を実物大にした展示は圧巻でした。これは展示の仕方としてたいへん面白いです。また、機会があったら、訪れたいです(終)。
PR -
9月16日~11月12日まで、北九州市立美術館分館でおこなわれた「没後50年 松野一夫展」に行ってきました。開催場所が北九州市の小倉だったので、私(湯浅)の住んでいる群馬県からは遠かった。しかし、なんだか、どうしても行きたくなり、足を運ぶことにしたのです。
小倉駅からは、そう遠くないところにリバーウオーク北九州という立派なビルがあり、その5階が北九州市立美術館分館になっています。たいそう大きなビルでして、それぞれの階で、アミューズメント施設や飲食店があり、充実していました。ビルの南側には、小倉城があり、観光客もたくさん訪れていました。秋晴れだったので、天守閣も映えて、またお堀も秋らしい風情を見せていました。良かったです。
さて、松野一夫展ですが、これは素晴らしい展示になっていました。松野一夫の絵の魅力をあますところなく伝えているのです。以下に、会場で6章で構成された展示テーマを記します。
- 上京、デビューまで
- 挿絵画家としての活躍
- 憧れのパリへ
- 帰国後の仕事
- 戦後、探偵小説と子どものための本
- 新たな画境へ
それぞれのテーマにそった展示になっていまして、これらの流れで、松野一夫の仕事をすべて網羅していると思われます。さらに、これらの展示の最後に、まとめとして、『新青年』の全表紙が発行順にすべて飾られていました。これは迫力がありましたよ。
ところで、少し驚いたことがありました。第2章の展示説明の文のところで、『新青年』研究会の末永昭二さんや私の名前を見つけたことです。末永さんは、松野一夫の画中のサインについて、同じく私の方は森下雨村と松野一夫がシャグランブリッジというトランプゲームでよく遊んだことについての説明で、各自の言葉が引用されていました。『新青年』研究の成果が見られて、長くやってきて良かったと、思わず感慨深くなってしまいました。また図録も大変立派で、展示された絵が色鮮やかに掲載されていました。まるで松野一夫の魅力が詰まった宝石箱のようです(続く)。
-
11月新刊「1930年のイギリス料理」のレシピは、実際には作ったことがありませんでした。私は料理はしたことがありませんし、しかも作り方が今とは全く違っているからです。
特に揚げ物の揚げ油は、「ドリッピング」と呼ばれる、肉を焼いた時に出る油を貯めておいて使うという、ものすごくカロリーが高そうなことをしています。サラダ油であっさりと揚げている現在とは違いますね。それから、今はサラダ油を大量に店頭で購入することができるから、天ぷらやとんかつのような揚げ方ができますが、むかしはそんなにたくさんドリッピングを貯めることもできなかったわけですから、どうしても揚げ焼きのようにならざるを得なかったのでしょう。
ところが、ツイッター(X)をみていまさいたら、おまじんさんという方が、実際に「1930年のイギリス料理」のレシピを再現してくださったとありました。
ありがとうございます!
リンク先は「おまじんさん」ですので、ぜひご覧ください。
-
11月11日(土曜日)に開催された文学フリマ東京では、たくさんの皆様においでいただきありがとうございました。
今回の新刊は
「美女舞踏」三上於菟吉
「ラヴデイ・ブルックの事件簿」パーキス
「1930年のイギリス料理」
の三冊でしたが、近年の文学フリマでは稀に見る人出で、早い時間にあとの二冊は売り切れ、「美女舞踏」もその1・5倍の数を売り上げました。
また驚いたことに、バックナンバーも売れ行き好調でした。こんなことは文学フリマでは初めてのことでした。
そういうわけで、閉会間際にはこれしか本が残りませんでした。今までになかったことです。
ポスターをつくったせいか、それとも2ブースとったせいか、土曜日のおかげか、さっぱりわかりませんが、会場規模は5月の文学フリマと同じですけれども、今回がなんらかのブレークスルーの回だったのかもしれません。
しかし次回から入場料がかかり、さらに次の次からはお台場に会場が移るということです。不確定要素が多々ありますので安心はできません。
どうなることでしょうか。
どうぞ皆様のご愛顧は、変わらずよろしくお願いいたします。 -
いよいよ今度の土曜日11月11日は、文学フリマ東京になります。
前回のブログで、平山さんが告知されたように、ヒラヤマ探偵文庫の国内版では、三上於菟吉「美女舞踏」を発行します。A5判38ページのパンフレットになりまして、「美女舞踏」のほか、あの「獣魂」も併録いたします。
「獣魂」は、三上於菟吉が『世紀』大正13年10月号に書いたサルノベになります。『世紀』という雑誌は、同号が創刊号になりますので、そこに当時の流行作家であった三上於菟吉の作品を掲載することは、かなり売れ筋を狙ったものかと思われます。また、次号(大正13年11月号)には、千葉亀雄の「新感覚派の誕生」が掲載され、そこで『世紀』と同じ月に創刊された『文芸時代』の諸作家のあり方が〈新感覚派〉と名付けられました。これは文学史上、有名な話です。そういうトピックな雑誌に「獣魂」が掲載されていたのです。
さて、その「獣魂」ですが、今年1月の文学フリマ京都7で、おまけ小冊子として配ったものです。その後、BOOTHのヒラヤマ探偵文庫JAPANで販売しましたが、あっと言う間に売り切れてしまいました。評判もよかったので、今回、「美女舞踏」に再録することにいたしました。
ところで、「美女舞踏」のほうですが、これは『上毛新聞』大正12年1月1日付に掲載されたヘビノベになります。ヘビノベとは何ぞや? これは蛇にまつわるノベルになります。Heavy Novelではありません。わかりやすいお話です。短篇なので、内容は読んでのお楽しみに。このような作品を三上於菟吉が書くんだということを味わってください。以下に、初出「美女舞踏」の挿絵をあげておきます。
実は、この『美女舞踏』というパンフレットは、ヒラヤマ探偵文庫レーベルから新しく発行する〈大正時代の不思議小説パンフレット〉というシリーズの最初なんです。これは、大正時代に書かれた不思議な短篇小説を集めたもの。大正時代は、日本に入ってきた海外の文化が日本流にアレンジされて花開いた時代になります。文学の世界でも、作家たちが自分の作品を懸命に表現していました。わけの分からない作品も時々あります。が、しかし、不思議な感覚に満たされる作品を取り上げて、ここで紹介していきたいと思って製作してみました。これからも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。